第13回東京国際映画祭

ヤンヤン 夏の想い出 ティーチイン

- 参加者(敬称略) -
ゲスト●楊徳昌(監督)、張洋洋(出演者)
司会●?
日本語-英語通訳●王愛美
北京語-日本語通訳●トーマス・タン


■観客1(日本語)[→楊徳昌]:この映画のタイトルは『ヤンヤン夏の思い出』だが、夏らしいシーンが少なく、長袖を着ている人が多い。これは製作上の都合か?
◆楊徳昌(英語):邦題は配給会社が決めたもので、自分は関与していない。配給会社は日本の市場のことを考えて、日本で公開するのに相応しいタイトルをプロフェッショナルな判断でつけていると思う。

■観客2(日本語)[→楊徳昌]:今回の映画は音楽が多いが、その意図は?
◆楊徳昌:各シーンのムードやつける音楽の選択は、映画中のほとんどの曲を作曲した妻と一緒に行った。自分の映画には、音楽をほとんど使っていない映画もあるし、たくさん使っているものもある。この映画では音楽の果たす役割が大きいと思ったので、たくさんの異なるタイプの曲を使った。
■観客2:この映画では、鏡やガラスの効果を利用したシーンが多い。このような鏡越し、ガラス越しの演技について聞きたい。
◆楊徳昌:これまでの映画では、このような映り込みは避けていた。その理由は、カメラの動きが多く、スタッフが映ってしまうおそれがあったからである。今回の作品は、脚本段階から、カメラの動きが少ないことが予想できた。脚本をどのように映像として表現するかを考えたとき、これまでは避けてきた映り込みが財産になることに気づいた。映り込んでくるものによって、ひとつのショットの中で二つや三つのシーンを表現できる。より多くの思いを盛り込むことができ、その分語彙が増えた。このことは新しい発見だった。
■観客2:この映画が長い理由は?
◆映画を長い映画、短い映画と分類する人もいるが、自分にとってはよい映画と悪い映画しかない。必要なのは、作家が言いたいことをすべて表現するための長さである。観客が映画に没頭できれば、長くても気にならないと思う。作品を通じてどのようにして観客とコミュニケーションするか、どのようにして観客に映画に入り込んでもらうか、その方法を今後も磨いていかなければならないと考えている。

■観客3(日本語)[→張洋洋]:映画の中に、バットマンと鉄腕アトムとピカチュウが出て来ていた。どれが一番好きか?
◆張洋洋(北京語):全部好き。

■観客4(日本語)[→楊徳昌]:最後にヤンヤンがおばあさんに話しかける言葉を聞いて、この映画は監督の自伝に近いのではないかと感じた。最後のヤンヤンの台詞は、楊徳昌監督が何故映画を撮っているかの答えになっているのではないかという印象を持ったのだが?
◆楊徳昌:あの台詞は誰もが心に思っていることを語っている。

■観客5(日本語)[→楊徳昌]:日本でのロケーションで苦労した点、日本の撮影スタッフの感想を聞かせてほしい。
◆楊徳昌:日本のスタッフには感動した。時間も少なく予算も苦しかったが、スタッフはすごく頑張ってくれた。1日1時間しか寝られなかった人もいる。撮影期間は12日くらいだったが、それだけでやりたいことが全部できた。これまでにないよい経験ができたと思う。
◆今回の経験を通じて、アジアには、いろいろな可能性をもった才能ある人材がたくさんいるということを確信した。また、才能あるプロデューサーがあちこちに散らばった人材を集め、いい映画を作っている。国際映画祭でアジア映画が受賞しすぎると言う人がいるが、アジアではこのような活動が活発であり、競争も激しいからだと思う。

■観客6(日本語)[→張洋洋]:撮影中の監督はどんな感じだったか?
◆張洋洋:とてもいい人だった。
◆楊徳昌:きっと彼は、自分の次の作品への出演を狙っているのだろう。
◆カンヌでの記者会見で、「将来は俳優になりたいか」という質問があった。彼はかなり長い間考えた末「ノー」と答えた。あとでお父さんに、俳優ではなく監督になりたんだと言ったらしい。

■観客7(英語)[→楊徳昌]:登場人物に共感し、とても感動した。監督自身が脚本を書いているということだが、登場人物が経験するいろいろな出来事についてのインスピレーションはどこから得たか?
◆楊徳昌:この脚本を書いたきっかけはふたつある。シンプルなストーリーで、誕生から死までをテーマにしたものを書きたいとずっと考えていた。家族にはいろいろな世代のメンバーがいるので、家族という媒体を通すことによって、ひとつの大きな建物を経済的に構築できる。そのことを思いついたのがひとつのきっかけである。
◆何を言いたいかを自分自身がわかっていることが重要であり、それさえわかればどう表現するかはさほど難しくない。この脚本のアイデアを思いついたのは14、5年前だが、そのときは若すぎて書けなかった。それから年を取り、いろいろな経験を重ねることにより準備が整った。それがもうひとつのきっかけである。

■観客8(日本語)[→楊徳昌]:呉念眞(NJ)が、「夢を見ているときが一番幸せで、朝目覚めるときが一番つらい」と母親に語るシーンがある。監督にとってはどちらが幸せか?
◆楊徳昌:あの台詞は、夢と現実とを比較して、現実の方が嫌だという意味ではない。彼は、毎朝起きると同じ生活が待っているのが嫌だ、同じことの繰り返しが嫌だと言ったのである。
◆自分がものを書くのは、書くことによって新しいスタートがあるからである。この映画の中で、大田さん(イッセー尾形)もそういうことを言っている。大田さんの言っていることとNJの言っていることにはつながりがある。

映画人は語る2000年10月28日ドゥ・マゴで逢いましょう2000
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作成日:2000年11月6日(月)
更新日:2004年12月11日(土)