10:57のほぼ定刻にIpohに到着。Butterworthから約3時間の道のりである。駅舎を出ると、タクシーなどの客引きがたくさんいてうるさい。観光地Pinangに比べ、ずっと商売熱心な様子だ。
Ipohはペラ(Perak)州の州都で、19世紀半ばにスズ鉱山が発見されてから中国人を中心に急速に発展した都市である。マレイシア第2の都市だったこともあるが、スズが落ち目なためか、現在は第4の都市である。マレイ語でIpoh、華語で怡保(Yi2 Bao3)と書く。
『西ひがし』[ML22]には、次のように、Ipohについてふれた部分がほんの少しだけある。
……それをもっと遡れば、ペラ州の首都イッポに出る。カウランプール市に近く、連邦州と回教の首都で、みごとな大王椰子の並木路のあいだから寺院(ムスケ)のドームがみえ、僕が鶏にでも変身しないかぎり、用のないところだ。……(p181)
今夜の宿は確保していないが、YMCAに泊まるつもりでいた。しかし、昨夜『地球の歩き方』 [ML16-1]を見たら「シャワーは水」と書いてあったのでやめて、街の中心部Jl. Sultan Idris ShahにあるHotel Eastern(東方大酒店)に泊ることにした。ツインでRM80/泊、一人約¥1800/泊。部屋は、古びているがそこそこ広く、テレビも冷蔵庫もあって設備的には悪くないのだが、窓に目隠しがしてあり、薄暗くてあまりいい雰囲気ではない。
さて、これから競馬に行くのだが、実は競馬場の場所がわからない。ガイドブック等にも載っていなかったし、今日は日曜日で観光案内所はお休みなのだ。競馬場の場所くらい誰に聞いてもわかるだろうと思っていたのだが、それが甘かったかのもしれない。
ホテルの従業員のおじいさんに聞くと、「けっこう遠いからタクシーで行きなさい」と言う。でもその前にお昼を食べるからと言って、無理やり場所を聞く。中心部の地図を見せると、地図にない方向を指さしながら説明しようとして困っている。試しに、市街地の北西にあるTaman D.R. seenivasagam(DR.シーニバサガン公園)を指さして、「この中にある?」と聞くと、「うんうん」とうなづいた。ちょっと怪しいと思ったが、楽天的観測によりその公園に行ってみることにした。
ホテルを出て、昼食を食べようと近所をぶらつくが、日曜のお昼のせいか、コーヒーショップはどこも混んでいる。Pasar Besar Ipohという街市(市場)のビルに入ってみると、上の階がホーカーズ・センターになっていたので、そこの經濟飯屋台で食べることにする。店のおばちゃんは愛想がよく、のせるおかずを迷っていると、広東語であれこれ言いながらにこにこしてつきあってくれた。結局骨付き鶏肉などをのせてもらい、ミルクティも頼んで全部でRM8(約180円/人)。
炎天下を公園まで1kmくらい歩く。入口には案内図はなかったが、中にある施設がマークで示されている中に馬マークがあり、放送のようなものも聞こえていたので、期待して中を歩き回って探す。しかし、どこにも競馬場はない。仕方なく警備員のおじさんに聞くと(英語)、「競馬場はここじゃないよ」と言って道順を教えてくれた。
「どこから来たの?」と聞かれたが、これまでは「日本人?」と言われることが多かったから、新鮮で、やはりここは観光地じゃないんだと感じる。でも、日本から来たと言ったら、別れるとき近くにいた別のおじさんに、上手な日本語で「さようなら」と言われた。
「歩けない距離じゃないけど、タクシーで行った方がいいよ」と言われたが、「どうしてみんなタクシーに乗せたがるんだ」と怪訝に思いながら歩いて行く。聞いた道順はいまひとつ細部が不明なのだけれど、歩いているうちにナイター設備が見え始めた。「期待は禁物(きんぶつ)ー」などと言いながらも、高まる期待は抑えきれない。しかし、そこは陸上競技場だった。このあたりはいろいろなスポーツ施設の集まった総合運動公園のようなところなのだが、残念ながら競馬場だけは見当たらない。人は多いが、競馬場とは違い、スポーツをしに来た健全な若者たちのようだ。
私が旅行に行くと必ず「不幸な日」というのがあって、たいてい行こうと思う場所にたどり着けずにひたすら歩き回ることになる。こうして今まで、ブーローニュの森や澳門を歩き回る羽目になったが、今日の状況もかなり「不幸な日」っぽくなってきた。こういうとき、「もうたどり着けないんじゃないか」と思い始めると、本当にたどり着けなくなってしまうものだ。しかし今回は、洪水にあったことですでに「不幸な日」は終わったと思っているので、絶対行けると信じている。そういうときには、きっと救いの手がさしのべられるのだ。
歩き疲れたと思ったら、ちょうど体育館の軒下のようなところに屋台街があった。一度食べてみたいと思っていたais kacang(アイス・カチャン)を注文(RM1/杯=約¥45)。Ais kacangは、一言でいうとマレイ風氷あずきである。あずき、とうもろこし、ゼリー、ナッツなどいろいろなものが入った、豪華なかき氷だ。最初からちょっと溶けているのがよくなかったが、なかなかおもしろく、かき氷にしてはおなかが満たされる。
店の華人のおばちゃんに競馬場の場所を聞くが(華語)、おばちゃんは知らないらしい。この近くではなさそうだ。しかし、もうそろそろレースの始まる13:30になろうとしている。
今度は、後ろの席でひとりでごはんを食べていたマレイ人のおにいさんに聞くと(英語)、「それほど遠くはないけど、タクシーで行った方がいいよ」と言われた。このおにいさんにも「どこから来たの?」と聞かれ、日本だと言うとちょっともの珍しそうだった。もう時間もないし、タクシーも仕方ないという気になっていたが、場所もわからずタクシーに乗るのは不安なので、一応道順を聞く。するとおにいさんは、「これを食べおわったら、僕が車で送ってあげるよ」と言ってくれた。彼は悪い人には見えなかったし、観光客相手の詐欺師などはいそうにない場所だったが、ずうずうしく送ってもらうのも申し訳ないので、「だいじょうぶ、タクシーで行くから」と行って、大通りに出た。
タクシーは通るけれど、空車はいない。しばらく歩いていると、突然後ろからクラクションの音。振り向くと、さっきのおにいさんだ。今度は遠慮なく、好意に甘えることにした。競馬場は市の中心部から南東方向のはずれにあるようだったが、私たちは間違って、ずいぶん北の方に来てしまったらしい。競馬場の近くまで来ると、車やバイクが次々に来て、郊外とは思えない賑やかさだ。ありがたい貴人のおにいさんのおかげで、レース開始から約30分後、無事にPerak競馬場に到着することができた。