1996年6月15日(星期六)

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ナゾのおフランスおじさん

Penang Hillへのケーブルカー乗り場まで歩く。所要時間は15〜20分くらい。ケーブルカー乗り場は、土曜日のせいか行列ができており、切符売場にしばらく並ぶ。私の前には、Air Itamに来るとき同じバスに乗っていた太った白人のおじさんがいた。彼は、突然振り向くと、英語で
「シンガポールから来たの?」
と話しかけてきた。日本から来たと言うと、唐突に
「そのTシャツも日本で買ったの?」
と聞く。そうだと言ったら、
「ふぅん.....」
と言いながら、私が着ていたTシャツを、穴があくほどじっと見た。すごく欲しそうだった。それは、Claudie PierlotのTシャツである。思わず目がテンになってしまったが、私の推論はこうである。

「彼はフランス人で、Claudie Pierlotを知っていて、現在シンガポールに住んでいる。私をシンガポーリアンだと思い、シンガポールで売っているのか知りたくて声をかけてきた。」

フランス人かもしれないと思ったのには理由がある。彼はエルメスのスカーフを首にかけて、その上に派手な柄物のシャツをはおっていたのだ。そういう奇妙な格好をしていながら服が浮かず、一見ふつうのおじさんに見せてしまうというのは、フランス人ならではのワザではないかと思うのだ。

Penang Hill Railway(ペナン・ヒル鉄道)

[Penang Hill Railway]
◇Penang Hill Railway◇

蒸し暑い駅舎に長い間並んでやっと切符(往復RM4/人=約¥180)を手に入れたと思ったら、今度はホームに並び、ようやくケーブルカーに乗ることができた。Penang Hill Railway(ペナン・ヒル鉄道)は、1922年にできた歴史のあるものだが、乗り心地はかなり苦痛だ。なんといっても、たまらなくのろい。そのうえ車内は混んでいて むし暑い。山を切り開いたところなので、特別おもしろい景色もない。香港のピークトラムものろくて苦痛なのだが、まだ時間が短いから許せる。こっちは途中で乗り継いで30分もかかるのだ。前半は、マレイ系の家族連れの、ヴィデオカメラを手にしたおとうさんが、景色を撮るから立つと言って席を譲ってくれたのだが、それでも相当辛かった。後半は立っていて、退屈さと蒸し暑さで非常に眠かった。まるで、昼過ぎにすごくつまらない講演を聞かされているときのようだ。心地よく眠ることもできず、目を醒ますこともできず、「誰か助けて!」と叫びたくなる気分。

Penang Hill(Bukit Bendera)

もともとGeorgetownしか行くつもりはなかったのだが、『ペナン 都市の歴史』 [ML26-1]を読んだら、とてもPenang Hillに行きたくなった。Penang Hill(Bukit Bendera)は19世紀の初頭につくられた避暑地で、1824年ごろにはすでに、東洋中に広く知れ渡った保養地としての評判を得ていたということだ。ここで紹介されている、当時訪れたヨーロッパ人が残した賛辞を拾ってみる(引用の都合上、原文通りでないところもある)。

John Turnbull Thomson(ジョン・ターンブル・トムソン):1830年代後半にPinangに滞在

ペナン・ヒルの頂上の空気は、気分を晴々とさせ、涼しく、食欲を刺激する。はるかに続く視界の良さが、湾を越え、雲がかかるケダの峰々まで展開する広大な眺めに「魅力を添えている」。
Colonel Nahuijs(ナヒュージ大佐):1824年病気療養のためPenang Hillに滞在
ヨーロッパのカントリーハウスのようにつくられた風情豊かな屋敷と、バラが咲きイチゴが実る庭園の風景は「何物とも比較できない眺め」。
T. M. Ward(ワード医師):1833(“Singapore Chronicle and Commercial Register”に書いた記事)
ペナン・ヒルは疲れ果てた病人にはもってこいの場所。ペナン・ヒルの空気や景色に触れると人は気持ちが高揚し、自由で朗らかな足どりで歩くようになる。
([ML26-1], p94-96)

[Penang Hillからの眺望]
◇Penang Hillからの眺望◇
これらの文章がかもし出す「植民地時代の避暑地の雰囲気」に興味をかきたてられて行ってはみたけれど、ただの観光地でがっかりした。国内外からの観光客のみならず、住民もお休みにちょいと行ってみたりする身近な行楽地のようで、中高生のグループとか家族連れとかいろんな人が来ている。リゾート・ホテルもあるけど、屋台もあり、子供がうるさく走りまわる光景は、想像したイメージとはかけ離れていた。思えば、私は子供の頃から「避暑地」という言葉のかきたてる美しいイメージに憧れたものだが、いまだに実際に出会ったことはない。

丘の上はたしかに涼しく、Pinangの暑さに辟易していたイギリス人が、この涼しさに大いに感動したであろうことは想像に難くない。しかし、私は暑さを味わいにマレイシアに来たのだ。涼しいところなんていらない。しばらく滞在してあちこち散策したり、何もせず無為に過ごしてみたりすれば、かつての名残りの風情も感じられるのではないかと思うのだが、1時間では無理な話である。

曇っていて霧が濃く、眺望はあまりよくない。ここからもはっきりそれとわかるKOMTARに焦点を合わせ、なんとか写真を撮る。

Laksa Asam(ラクサ・アサム)★★★

午前中にGeorgetownに戻ろうという計画は大幅に遅れてしまい、屋台で昼食を食べる。ずっと食べたいと思いながら機会がなかったlaksa(ラクサ)を食べることにした。 [ML26-1]から、laksaの説明を引用する。

「ラクサ」という辛い魚のスープと麺を一緒に食べる料理は、もともとタイ料理だったものがペナン流に変化してきたもので、ココナッツミルクを使ったクリーミーな「ラクサ・ルマッ」と、タマリンドの葉を入れた酸味のきいた「ラクサ・アサム」との種類があり、どちらもペナンの名物料理である。(p125)

この屋台には、laksa lemakとlaksa pinangの2種類があったが、laksa pinangというのがラクサ・アサム(laksa asam)だろう。1つずつ頼む(ミルクティ、ライチジュースを入れて全部でRM6.50=約¥300)。Laksa pinangは酸味がきいていて、タイ料理の魚スープと似た味である。ここのはちょっと生臭さが残っているのが気になるが、探せばきっと★★★★★の店もあるはずだ。Laksa lemakの方は思いっきりココナッツ・ミルクがきいていて、甘くて苦手な味。

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更新日: 1999年2月14日(日)