天気は晴れ。
YMCAでは朝食がサーヴィスである。「せっかくタダなんだから」というセコい考えと、朝食にありつくまでの体力保持のため、グランドフロアの食堂に行って少し食べる。メニューはトーストとコーヒー。
足の傷はかなりよくなっていて、今日は歩いてもあまり痛まない。途中までピンクのミニバス(bas mini)を利用してChinatownへ行く。ミニバスはKLの一般的な交通手段で、エアコンなしのピンクのとエアコン付きのブルーのとがあるが、なんといってもピンクのミニバスが色も形もキュートだ。ピンクのミニバスには車掌さんがいて、座る席を指示され、お金を払って切符を買う。料金は一律RM0.60(約¥27)。
樂安酒店(Hotel Lok Ann)のグランドフロアにあるコーヒーショップへ行く。[女乃]茶(ミルクティ)を頼もうとしたのになぜか通じず、勧められて頼んだ白い飲み物はおいしくなかった(RM0.8/杯=約¥35)。粥の屋台で鶏粥(RM2.5/椀=約¥110)を頼む。
朝のChinatownは、花の屋台がたくさん出ていて、やはり賑わっている。
今日の新聞は、中國報(China Press)(RM1)である。これは繁体字で書かれている。芸能欄は“精品副刊”という別冊にあり、内容は“虎度門”の映画評など。
◇Sultan Abdul Samad Building◇ |
Selangor Club(スランゴール・クラブ)、Sultan Abdul Samad Building(官庁街)、Masjid Jame(旧モスク)などを見る。Sultan Abdul Samad Buildingは、連邦事務局、高等裁判所などが入っている、19世紀末に造られた建物である。Masjid Jameは1907年に建てられたもので、クラン川(Sungai Kelang)とゴンバック川(Sungai Gombak)の合流点に建つ。このあたりがKLの表の顔というべきところだが、正直なところ、こういう生活感のない風景には、単に美しいという以上の感慨を持てない。
金子光晴は、Kuala Lumpurについて、『マレー蘭印紀行』[ML23]に次のように書いている。
コーランプルは馬来聯邦州の首府で、殷賑は半島第一の都。大王椰子の、徳利を行儀よく並べたような並木のあいだから、回教寺院(モスケ)の球屋根がみえる。望楼にはメッカを祈る人達の姿。印度教(ヒンヅー)寺院から流れてくる勤行の鐘の、ごんごん、がんがんという音色と、柝をたたく音、甘い、ひつっこい笙(スリン)の音いろに、一日が、かなしく、つらく、あわただしく、暮れまどうている。(p108-109)
◇Masjid Jame◇ |
ここに書かれている回教寺院はMasjid Jameかもしれないが、この美しい文章は、現在のKLの印象にそぐわない。
Citibankに口座を持つ友人がレートを知りたいというので、近くのCitibankへ行く。レートが悪いことは予想されたので、RM50だけ下ろしたが、やはりRM1=¥45.7と、かなり悪い。
Jl. Masjid Indiaあたりのインド人街をぶらぶらする。SingaporeのLittle Indiaほどインド色は濃くない。ショッピング・センターの中の映画館でインド映画(おそらくタミル映画)をやっていて、観たかったが、時間が合わず諦める。
◇Jalan P.Ramlee◇ |
さらに北の方に向かうと、Odeonという映画館では、マレイ映画をやっているようだ。“Suami Isteri dan.....?”というもので、コメディ映画らしい。もうすぐ次の回が始まるようで、入口のあたりはかなり混雑している。当然、マレイ人ばかりだ。これも観たかったが、お昼の時間なので諦める。
ブニュ川(Sungai Bunus)近くのマレイ料理屋台で昼食を食べる。みんながやっているように、バケツの水を「不浄な」左手にかけて洗う。ごはんの上に、 ayam gorengや野菜炒めなどを載せた經濟飯風のものを食べる。飲み物を入れて全部でRM6.30(約140/人)。ここの屋台の客は労働者風のマレイ人ばかりだ。
Bukit Nanas(パイナップルの丘)の北側をまわって、 Bukit Bintang(ブキッ・ビンタン)に向かう。途中、 P.Ramleeの名を冠した通り、Jl.P.Ramleeを渡る。交通量の多い、おもしろみのない通りでがっかり。 Bukit Bintangに続くJl.Sultan Ismailは、高級ホテルの建ち並ぶ、交通量の多い大通りで、あまり歩いておもしろいところではなかった。