駅の近くに救世軍(Salvation Army)があり、そこから人がやってきて、「子供連れの方は来て休んで下さい」と言ったので、ホームにいた人の半数以上が行く。22時くらいになって再び来て、「コーヒーと食べ物がありますからどなたでもおいで下さい。バスが来たら知らせて貰うことになっています」と言う。無宗教の私も、すっかり飢えていたのでためらいなく行く。教会は近所なのだが、バンで送ってくれる。
教会に着くと、ミロ(コーヒーって言ってたのに…)、ピーナッツ・バター・サンド、炒米粉、バナナなどがある。たいしたものはないのだが、食べさせてもらえるだけで非常にありがたい。しばらくの間、ひたすらがつがつ食べる。
シンガポール華人の青年に話しかけられ(英語)、どこから来たのかとかどこに行くのかといった話をする。ムスリムやヒンディは教会には来ないから、ここに来ているのはほとんど華人だ。ふと見ると、友人が救世軍の人と話していて、「救世軍を知っていますか? 日本ではどのような活動をしていますか? 我々の活動に興味ありませんか?」などと勧誘されているので、近寄らないようにしておく。シンガポーリアン青年は、「先は長いから列車に戻って寝る」と言って帰って行った。
ひととおり食べ終わるともうすることがなく、椅子に座ってぼーっとする。さっきまで虫の多いホームにじっと立っていたことを思うと、ちゃんと屋根のあるところで座っていられるというのはとてもありがたいことだ。救世軍の人たちは、時々駅に様子を聞きに行き、新たな客を連れて帰ってくる。彼らの献身的な活動には頭が下がる。もちろん、感心して入信したりはしない。ここにいる人は、小さい子供連れのおばさんが多く、交流はない。子供が多いので、救世軍の人たちは子供たちを強引に集めて人形ミュージカルを見せ始める。よいこはとっくにおやすみの時間なのに。
そのうち、大型バスが前の道路をうろうろし始めたが、まだ吉報は来ない。バスは何度も行き来した後、いつのまにかいなくなってしまう。楽観的な気分も薄れ始めた頃、バスが出るという情報が来た。しかしTampinではなく、Kuala Lumpur行きだ。半数くらいの人はこのバスで帰ってしまった。家族やタクシーを呼んで帰って行く人もいる。かなり経って、今度はSeremban(セレンバン)行きのバスが来て、また半分くらい減る。外は、小降りながらまだ雨が降り続いている。
1時近くになって、もうバスは来ないことがわかった。救世軍の人は、「うまくいけば、1時半に列車を出発させるそうですから、みんな列車に戻って下さい」と、‘hopefully’という単語を何度も強調して言った。教会の中に絶望的な空気が広がる。救世軍の人たちにとっても、予想していたよりかなり悪い事態のようだったが、私たちと一緒に列車に行き、ミロやビスケットを配るなど、相変わらず精力的に活動していた。
ここからKuala Lumpurの間で、人が大勢降りる大きな駅はSerembanとKuala Lumpurだけである。だから、かなり乗客が減っていてもいいはずなのだが、それほど減っているようには見えない。華人は明らかに減っていて、マレイ人の比率が増えている。マレイ人はみんな寝ている。あわててバスに乗ろうとしたり迎えを呼んだり大騒ぎするのはほとんど華人で、マレイ人は、「動き出すまで待てばいいや」と気楽に構えているように見える。私は、仕事はマレイ人型かもしれないが、遊びになると華人型だと実感する。
食堂が再開して、タダで飲食を提供するとのアナウンスがある。寺田農風車掌さんが来て、「おなかがすいていたら食堂車に行きなさい」と言ってくれる。1時半になっても、予想通り列車は動く気配を見せない。食堂車は行列ができて混んでいるが、やはり華人とインド人が多い。マレイ人は席で寝ている。飲み物は手に入るが、食べ物は客車に配るということで、ここではもらえない。しかし、どこかの客車に持って行かれるはずのお弁当が、飢えた華人のおばさんたちに略奪されている。時間外労働を余儀なくされている売店のおねえさんは、思いっきり不機嫌だ。マレイ人は一般にかなり愛想がいいと思うのだが、全く愛想のかけらもなくなっている。欲しいのは食べ物なのだが、冷房ががんがん効いていてとても寒いので、コーヒーを貰って席に戻る。
3:45ぐらいになって、やっとというべきか、意外にもというべきか、列車が動き出した。スピードを緩めていたのか、Tampinまでは思ったより遠く、30分ほどかかって到着する。降りたのは私たちだけのようだった。