1996年6月10日(星期一)

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不幸のはじまり

朝起きると路面が濡れていたが、雨は降っていない。昨日と同じように、出かける頃にはすっかりよい天気になった。蒸し暑かった昨日と違って、すっきりと晴れて陽射しが強い。

Cuppage Centre(カッページ・センター)のホーカーズで朝食を食べるつもりだったが、工事をしていて営業していなかった。

不幸な一日は、このようにして始まった。

仕方なく、昨日見つけたカフェDo^meに行く。Parisの有名なカフェと同じ名前を持つこの店は、舗道にテーブルや椅子を並べたパリ風のカフェである。シンガポールでこういうのが許されるのはちょっと不思議だ。テラスに座って、カフェ・ラテ、トースト、マフィン、サラダを注文する(S$18.30)。おそらくこの旅行中で最も高価(≠豪華)な朝食に違いない。

「キャセイ・ホテル」

[Cathay Building]
◇Cathay Building◇

YMCAの向かいにあるCathay Buildingの写真を撮る。というのは、小津安二郎が滞在していた「キャセイ・ホテル」というのがここではないかと思うからだ。『幻のシンガポール』 [SG2]では、「キャセイ・ホテル」は次のように記述されている。

南方軍司令部報道部附主計中尉進藤次郎は、ノックもせずに小津安二郎の部屋のドアをあけた。シンガポール、キャセイ・ホテル八階にある小津の部屋の窓の外には、パノラマのように港が広がっていた。視界を遮るものは市庁舎があるだけで、桟橋まで芝生が広がっている。(p323)
正面からの入り口はシンガポール随一の劇場になり、ビルの裏側にある車寄せに面したドアを入るとロビーになる。二階に豪華なレストランがあり、九階までのホテルは最高級のもので、市庁舎と並んで、イギリスの東洋侵略を象徴するビルのひとつだった。勿論、占領軍日本の高級軍人、役人がこのホテルを使う。屋上に上げられた日の丸は新たな東洋の盟主が日本であることを誇示していた。(p372)

一方、『地球の歩き方19 シンガポール'96〜'97版』 [SG29-1]のキャセイ映画館に関する記述は次のとおりである。

ドービー・ゴートに面して建つキャセイ映画館は、シンガポールの現存するビルの中では一番古いものだ。このキャセイ映画館、1942年2月15日、日本軍がシンガポールを占領した時に一番最初に日章旗をかかげたビルだ。(p79)

現在「キャセイ・ホテル」という名の高級ホテルはない。一方、Cathay Theatreがかつてホテルであったのかどうかも調査不足のためわからない。しかし、名前、歴史、高さ、映画館であることなどから、ここだと考えるのが妥当だと思える。

[SG2]によれば、小津は『オン・トウ・デリー』の1シーンとして、「キャセイ・ホテル」にユニオン・ジャックを上げて英国植民地を表すショットを撮り、ここの劇場でたくさんの欧米の映画を観た。Cathay Buildingの1階は今も映画館だが、上の方はもはや使われていないようにみえる。

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更新日: 1999年2月13日(土)