滿洲超特急

prologue

「満洲っていったいどんなところか、ちょいと見てこよう。」2000年の夏休みは、中國東北地方へ行くことにした。

最初に、「満洲」ということばについて、ふれておかなければならないだろう。「満洲」というのは、戦前、中國東北地方を指すのに使われた日本語である。中國語には地名としての‘滿洲’はない。そのため戦後は、同時代的な文脈では「中国東北地方」が、過去を表す文脈では、「旧満洲」ということばや、かぎ括弧を付した「満洲」という表記が用いられている。

この日記は、現在の東北地方への旅の記録である。しかしながら、東北に興味を抱き、行ってみようと思ったのは、その歴史と無関係ではない。「東北」という日本語は、抽象的、多義的であり、この地方の通時的なイメージを喚起させるには、あまりに力不足である。過去と現在をつなぎ、そこにまつわる膨大なイメージや記憶を託し得ることばは、やはり「満洲」である。そういう意味で、タイトルをはじめ、ところどころで「満洲」を用いた。なお、「旧満洲」ということばは、「かつて満洲と呼ばれた地域」と解釈するにはいささか無理があり、「旧満洲国」と混同されやすいため、不適切と考える。また、このような注釈を書いた以上、以降の文章において、特にかぎ括弧を付す必要はないと思う。

満洲は、中國の中では、長城の外、関外と呼ばれる場所にある。清朝発祥の地であり、ロシア、モンゴル、朝鮮に接する。近代には、ロシアや日本の侵略を受け、鉄道が敷設され、都市が建設され、建築物が造られた。こうして発展した都市はまた、多くの中国人をも惹きつけ、さらに建築物が造られた。多くの建築は今も使用され、都市の景観の、主要な一部を構成している。建築を足がかりに歩くことによって、博物館やテーマパークではない、生きた都市の歴史を感じたい。それがこの旅行の目的である(と書くとエラそうだが、要は、「建築をサカナに街を歩いてみよう」ということである)。

訪れたのは、大連、瀋陽、長春、哈爾濱の四都市。この日記は、主に鉄道を使ってこれらの都市を回った、12日間の慌ただしい旅の記録である。


↑滿洲超特急→8月13日


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作成日:2001年6月9日(土)
更新日:2002年12月23日(月)