『東京ギャング対香港ギャング』について熱く語る

はじめに

香港、澳門、東京、横浜を舞台にした国際的ギャング映画『東京ギャング対香港ギャング』(監督:石井輝男/1964年/東映)は、海外で撮影された最も特筆すべき日本映画である。

純粋に映画的な意味で注目すべき点はあまりない。やたらとズームする落ち着きのないカメラワークが嫌だし、ストーリーもほとんど破綻している。ではいったい、この映画のどこが凄いのか。それは次の3点に集約できる。

  1. 1960年代の香港、澳門で撮影されていること
  2. 使用言語のリアリティ - 広東語の使用と外国語としての日本語
  3. 鶴田浩二、高倉健、内田良平、丹波哲郎、大木実の豪華競演

これらは互いに不可分であり、組み合わさることでより大きな効果をあげている。以下、それぞれの視点から本作の魅力を述べる。

香港・澳門ロケ

『東京ギャング対香港ギャング』は1964年元旦に公開されているので、ここで見られるのは1963年の香港・澳門と推測される。60年代の香港と澳門が記録されたフィルムであることは、それ自体非常に貴重でもあり興味深くもある。加えてロケ地選びとそこに登場する俳優とのコンビネーションが素晴らしい。

舞台はいきなり香港である。この映画の香港は、ヨーロッパの香りのする街でもなければ、ギャングののさばる暗黒街でもない。徹底して喧騒と混沌の街である。まず、そこがいい。

前半は上環あたりの裏町が舞台だ。入り組んだ石段や坂道、道路に突き出した洗濯物、路上を埋める屋台、こぎたない子供たち。汚く、貧しく、しかし、熱く、濃く、生活の匂いがする。今では薄れてしまった混沌の魅力あふれる香港。ここでの主役は、麻薬の買い付けに来た東京ギャング、高倉健だ。細身のスーツに身を包み、ソフト帽をかぶった彼は、上環の路地を、石段を、足早に歩く。カメラは彼を追って、路地や石段を動き回り、家並や路上を舐めるように映し出す。スクリーンを越えて伝わる蒸し暑い空気、食べ物とゴミの混ざった匂い。歩き続ける高倉健はしかし、あくまでも軽やかである。

舞台が香港仔に変わると、巨大な水上レストランとは対照的な水上生活風景を、カメラはしつこいくらいに映し出す。粗末な屋形舟、そこに住む犬や子供たち、舟の間を走る物売りの舟。香港での最後の舞台は、維多利港沿いの、ビルとスラムが同居する街である。トラムの走る道が、まだ海岸通りなのが興味深い。高倉健が、香港ギャングに撃たれた腹を押さえてよろけながら歩き、ついに路上に倒れる。俯瞰のカメラが引いていくと、彼の周りに通行人が集まる。香港に死す。第一部完。単に香港でロケをしたというだけではなく、徹底して街の中、人の中で撮られている。この臨場感が本作の大きな魅力である。

消息を絶った高倉健の手がかりを求めて、同じ組織の鶴田浩二が澳門にやってくる。澳門のシーンは香港に比べて少なく、中心は大三巴牌坊(聖パウロ大天主堂跡)。今度は「澳門といえば大三巴牌坊」というほどの超有名観光地を、堂々と使ったわけだ。鶴田浩二の目的は、澳門ギャングの毛に会うことであり、ここで演じられるのはこのふたりの邂逅シーンである。案内役の内田良平が「社長です」と言うと、大天主堂のファサードを背に、小さな人影がこちらに向かってくるのが見える。その顔を見分けることはできない。だが我々は知っている、その男が丹波であることを。動かないカメラに向かって、男はゆっくりと近づいてくる。やがてカメラもゆっくりと男に近づく。この異様なまでの気のもたせ方。顔にはサングラス、手には煙草のキザな格好。もちろん丹波以外ではあり得ない。サングラスをはずすと、鶴田浩二のかつての戦友、毛利であることが判明し、ふたりは感動の再会をする。

ロングショットでしか全貌を捉えることのできない大三巴牌坊の巨大さ、その異様な、極めて映画的なファサード、天主堂へと至る長いスロープ、そして丹波という類稀なる俳優。これらがもたらす効果を、最大限に生かして演出された再会シーンであり、有名観光地のこれほどまでに見事な使い方は、映画史に残る名シーンと言うほかはない。ちなみに聖パウロ大天主堂の建設には日本人キリシタンが関わっており、中に丹波という人もいたらしい。さすがに霊界の人だけあって、先祖からの浅からぬ因縁に導かれて、この地に立つことになったのかもしれない。

言語的リアリティ

この映画には香港人がたくさん登場するが、演じているのはすべて、日本語を日常語とし、日本の映画界に属する俳優たちである。また東南アジアなどに輸出された可能性があるにしても、基本的には日本国内をマーケットとした商業映画である。それにもかかわらず、この映画にみられる言語的リアリティと言語に対する敬意とは特筆されてよいと思う。具体的には次のような点である。

  1. 香港の日常言語としての広東語と支配者の言語としての英語
  2. 広東語を話す高倉健
  3. 外国語としての日本語の習熟度レベルに応じた日本語の提示

香港の日常語は広東語である。本作では、ギャングも、宝石店の主人も、京劇の女優も広東語を話している。あたりまえのことだ。だが勝手に英語が通じることにして済ませてしまう外国映画が多い中、このあたりまえのことが注目に値する。フェリーの観光用のアナウンスと、高級ホテル(Hilton)で電話に出るときの言語が英語なのもリアリティがある。

高倉健は、単身香港に「商用」にやってくるだけあって、当然広東語ができる。まずその設定が素晴らしい。英語だけで、あるいは高額の通訳を雇って、世界中で商売をする日本人ビジネスマン、少しは高倉健を見習ったらどうだ。広東語を駆使して任務を全うする姿は、彼の軽快さをより一層際立たせる。彼の広東語が最も印象に残るのは、澳門ギャング、内田良平との別れのシーンである。内田良平が日本語で話しかけてきて以来、ずっと日本語で話していたふたりだが、別れる時に初めて、高倉健は広東語を口にする。彼がもうすぐ死ぬことを、彼自身も、内田良平も知っている。知っていて、「今日は楽しかった。香港の良い思い出が出来たよ。」と、感謝の気持ちを伝える。この映画で最も感動的なシーンである。言うまでもないことだが、これが日本語だったらこれほど感動的なシーンにはならなかったはずだ。

そしてその内田良平の日本語が素晴らしい。香港ギャングのボスはネイティヴ度80%の、幹部の大木実はネイティヴ度90%の日本語を話すが、自称「香港で一番ヴェテランのガイド」である内田良平は、ネイティヴ度97%の日本語を話す。97%ともなると、そこらの映画なら普段どおりに話して済ませるところだ。しかし彼の日本語は、かすかにネイティヴではない響きを残す。それはイントネーションやアクセントの微妙なずれによる、かすかに無表情な日本語である。出演シーンは決して少なくない。にもかかわらず、終始一貫この97%の日本語を話し続ける。路地を歩きながら、高倉健に「こんな街はお嫌いですか?」と訊ねる、この短い台詞にも、ちゃんと3%の非ネイティヴ性がある。クールである。

豪華俳優の競演

この映画は、鶴田浩二、高倉健、内田良平、丹波哲郎、大木実が競演している。前半は主に高倉健と内田良平が登場し、対照的な人物を演じる。クールに生きる男、内田良平と、熱く死ぬ男、高倉健。一方が黒っぽいスーツ、もう一方が白っぽいスーツを着て、見た目にも対照をなしており、しかも途中で服を入れ替えるという徹底ぶりである。すでに述べたように、高倉健は広東語を操りつつ軽やかに香港の街を駆け抜け、撃たれても任務を全うし、仁義のために命を落とす。その姿は登場から死の瞬間まで、観客の目を画面に釘付けにし、強烈な印象を残す。しかも彼が命を賭けた組織は、何らその価値のないものであることが明らかになる(それはボスが安部徹であることで極めて簡潔に提示される)に至って、その印象はますます鮮やかなものとなる。我々は任侠映画において「かっこいい高倉健」を見慣れている。しかし彼が任侠スターとしての地位を確立する『日本侠客伝』シリーズの第1作は同じ1964年であり、それまでの彼のキャラクターはそれほどかっこいいものではなかったし、その後も洋服系でかっこいいものはほとんど記憶にない。そう考えると、本作は彼のフィルモグラフィー上で重要な位置を占めているように思う。

一方の内田良平もかなり健闘している。これは前述したように、微妙に無表情な日本語とこの97%の日本語を徹底して維持する彼の俳優としての真摯な姿勢とが、現実的に生きるクールなギャングという彼の役どころを補完して、存在感のある人物を作りあげているためだ。本作は、「イグアスで待つ」の置き手紙が印象的な『赤道を駆ける男』と並び、彼の代表作と言ってよい。香港のアクション映画に足りないのは、こういう悪役だと思う。

後半は主に鶴田浩二と丹波哲郎が登場し、かつては共に軍人として大陸にあり、その後対照的な人生を生きてきた人物を演じる。ひとりは「民主主義の敵」から人間の屑へと、ひたすら落ちていった男。ひとりは、「民主主義の敵」から正義の味方へと、華麗なる転身を遂げた男。ギャングであるうえに麻薬中毒の鶴田が前者で、ギャングになりすました香港警察の麻薬捜査官、丹波が後者である。ふたりの人生と同じく、映画中での輝きもまた対照的である。この映画の主演は鶴田浩二だが、本作での彼は、ファンの私が見ても弁護のしようがないほど徹底して冴えない。彼が『人生劇場 飛車角』(沢島忠)や『昭和侠客伝』(石井輝男)で任侠スターとしての地位を確立したのはちょうどこのころである。それ以降彼が演じ続ける役でも、過去の傷や暗い影はつきものであった。しかしそれは常に、他人を圧倒する存在感や、アクション・シーンでのめざましい活躍とセットであった。ところが本作では、香港ギャングのアジトへ麻薬を奪いに行くシーンはあるものの、これという活躍の場を与えられているわけでもなく、延々と続く「ヤクが切れた」演技など、ほとんど汚れ役である。一方の丹波は、登場シーンから目立ちまくり、常にスマートに存在して、最後は東京ギャングと香港ギャングに撃ち合いをさせてひとり勝ちする。最後に明らかになる麻薬捜査官という正体はいかにも丹波的であり、「丹波は丹波である」ことを我々に納得させる。彼にとっても本作は代表作に入れるべき作品だが、丹波哲郎の霊界サロンには代表作として挙げられていない。

もうひとり無視できないのが大木実である。彼はいい役も悪役もこなすが、いつも同じような雰囲気であまり印象に残らない俳優である。特に「気の弱い二代目で、途中で騙されて殺される」といういい役のイメージが強く(マキノあたりに多い)、どれがどれだか区別がつかない。そんな大木実が印象に残る映画、それが『昭和侠客伝』と本作である。もう少し検証が必要ではあるが、「大木実は石井輝男の悪役で輝く」のかもしれない。『昭和侠客伝』では「悪い組」のナンバー2で、凄味があってかっこよかった。本作でも香港ギャングのナンバー2で、なかなかの凄みと貫禄を見せている。しかしチャーリーなどと英名を名乗っていることから明らかなように、実は軽薄でお茶目な人物である。その姿を観客の前にさらすことはないが、ちらっと片鱗をのぞかせるシーンがふたつあり、それらは大木実の俳優人生の中で屈指の名演技と言っていい。ひとつめは香港で、ボスから麻薬の値をつり上げる策略を聞かされるシーンである。それまでのシリアスな態度から一変、突然にやりと笑って広東語で「なるほど」と言い、指を鳴らすのがとてもお茶目である。もうひとつは横浜港で、東京ギャングの麻薬を積んできたらしい船を見張っているシーンである。偽装検疫車を使って麻薬を受け取った東京ギャングが、仲間への合図にハンカチを振る。それを目ざとく見つけて吐く、「ボス、あのハンカチ、おかしいな」という台詞が最高におかしい。言葉で伝えるのは難しいので観てもらうしかないが、高倉健や内田良平と同様、彼の話す言語がその魅力に深く関わっている。特に後者は、90%の日本語の微妙な台詞まわしが生んだ奇跡のような名台詞である。

おわりに

以上、『東京ギャング対香港ギャング』の魅力について述べた。大袈裟な誉め言葉に疑念を抱かれるかもしれないが、筆者はいたって真面目である。少しでもピンとくるものがあったら、是非一度ご覧になっていただきたい。「観たいけれどいったいどうやって?」と思われる方も多いだろう。東京国立近代美術館フィルムセンター三百人劇場ラピュタ阿佐ヶ谷には石井輝男の特集上映を、東映ビデオ株式会社にはこの映画のDVD化を心よりお願いし、熱く語り終わることにする。

 

↑『東京ギャング対香港ギャング』
香港・映画通り澳門・映画通りホームページ
Copyright © 2002 by Oka Mamiko. All rights reserved.
作成日:2002年3月24日(日)
更新日:2002年3月25日(月)