TOKYO FILMeX 2006

『天国へ行くにはまず死すべし』Q&A

開催日 2006年11月23日(木)
会場 有楽町朝日ホール
ゲスト Pascal Lagriffoulパスカル・ラグリッフル(撮影)
司会 市山尚三
英語-日本語通訳 藤岡朝子


司会(日本語):Pascal Lagriffoul撮影監督は、一昨年このフィルメックスで上映された『右肩の天使』に続いて、今回が二回目のDjamshed Usmonov(ジャムシェド・ウスモノフ)監督との作品になります。それ以外は、若手のフランス人の監督と組んだ作品を多く担当していらっしゃいまして、日本で上映されたものとしては、横浜フランス映画祭で上映された『明るい瞳』という、これもすばらしい作品でしたが、この作品の撮影を担当していらっしゃるそうです。それでは、Q&Aの前に、まずPascalさんからご挨拶をお願いしたいと思います。

Pascal Lagriffoul(英語):みなさん、いらしていただいてありがとうございます。Djamshed Usmonov監督も、おそらくみなさんにこの作品を観ていただいたことをとても嬉しく思っていると思います。そしてこの場にいられないことを謝っています。いま脚本を執筆中で、次回作の準備に入っていますが、この作品をこちらで上映できたことをたいへん誇りに思っていると思います。前回の作品で賞をいただいたときには、東京から私に電話をかけてくれました。彼はその作品で世界中旅をしたんですが、唯一電話をくれたのがこの東京フィルメックスの場からでした。
◆通常私はカメラの後ろ側にいる男ですので、このような場はたいへん不自然になってしまいます。ここにいられることはたいへん誇りでありますが、うまく務められなかった場合は謝ります。

司会:まず私のほうからひとつ質問したいと思います。Djamshed Usmonov監督は、これまでフィルメックスで三作品紹介しています。第一回の映画祭で『蜂の飛行』と『井戸』を上映し、そして『右肩の天使』、それからこの作品と、今回四回目だと思いますが、今まではどちらかといえば田舎というか都会ではないところを舞台にした作品を作っています。今回初めて都会を舞台に設定したのではないかと思います。まずお聞きしたいのは、この場所はいったいどういう都市であるのかということと、Djamshed Usmonovが今回なぜこのような都市を舞台にした作品を撮るにいたったかということを、もしご存じでしたら教えていただきたいと思います。

Pascal Lagriffoul:ここはホジェント(Khodzhent)という、北タジキスタンの一番主要な都市です。ご存じかもしれませんが、中央アジアの国境は非常に不思議な分断のしかたをしており、いろいろな街の場所も、どうしてここにあるのか不思議な位置にある場合があります。タジキスタンという国は、パミエ山脈(パミール山脈?)が中央を走っており、国を南北に分断しています。このホジェントという街はその北側で、前回の作品が撮影されたアシュト村に一番近い大きな都市です。
◆おそらくDjamshedは、現代的な、現在を描くような映画作家になりたいと考えているのだと思います。彼は村を離れて、自分が今まで培ってきたいろいろな慣習や、自分の庭を離れて、エキゾチズムを少なくした映画を作りたいと思っているのだと思います。それが主要な理由ですね。村を舞台にした『左肩の天使』という企画ももっていたのですが、それではなくてこの作品を作ることにしました。おそらく村から違うところに移ろうとしている。それはひょっとしたらフランスかもしれないし、次回作はフランスで撮るかもしれないと思います。村から違うところへ行く途中のひとつの中間地点として、この場所を選んだのではないでしょうか。

観客1(日本語):言葉が、タジク語とロシア語だと思うんですが、いろいろと交錯していたかと思うんですけれども、ロシア系の人にとってタジク語は理解できるのでしょうか。また、タジキスタンの言語状況をよく表している映画だったと思うんですが、タジキスタンで上映するときには字幕等はどういった形でつけるのかを教えていただきたいと思います。

Pascal Lagriffoul:悲しいお答えになってしまいますが、おそらくタジキスタンではこの映画は上映されていないと思います。タジキスタンではいま、映画が死に瀕している状態で、首都のドゥシャンベ(Dushanbe)で私は、多くのソ連時代の映画人たちが、古いタジク映画のセットの中で集まってトランプをしている姿を見ました。いくつかの人道支援組織のようなところはありますが、映画の上映は少なく、作られる本数も少ないです。
◆上映されるとしたら、おそらく字幕なしで観てもらえると思います。というのは、この映画は現在タジキスタンで使われている口語的な言葉をもとにしているからです。タジク語はペルシャ語と非常に似ている言語で、そこにロシア語の単語が混ざった言葉が現地では使われています。場合によっては、ロシア語に切り替えてロシア語で喋ることもあります。

観客2(日本語):さきほど、監督が次回作をフランスで撮ることも考えているとおっしゃっていて、拝見するとこの作品にはヨーロッパの資本がたくさん入っているようです。第三国に住む者の勝手な嘆きかもしれないのですが、今日的な監督になるということは、ヨーロッパ化されるというか、やはりタジキスタン性というか地域性が失われてしまうのではないかと思います。芸術支援だとは思うんですが、ある意味芸術屋の植民地化といったことを懸念します。撮影監督は、たとえばタジキスタンという場所で撮影する場合に、そういった心情的な変化や懸念をどのように捉えていらっしゃいますか。

Pascal Lagriffoul:とてもきわどいご質問だと思います。私はこの仕事をしているなかで、とても謙虚な姿勢で臨みたいといつも思っているんです。新しい技術や、新しい何かを持ち込んで映画を作ろうと思っているわけではないんです。
◆個人的な体験から言いますと、もちろんあなたがおっしゃるような視点を用いることもできると思うんですが、もうひとつの視点もあると思うんです。他の芸術と同じように、映画というのは、ちょっと陳腐な言い方かもしれませんが、何か分かち合いのできるようなものではないかと思っています。一方で植民地化の危険はあるかもしれない。フランスの資金でタジキスタンで映画を作るということは、一種、大作映画を小さな予算で作るというような側面もあるかもしれませんが、もう一方では何かを分かち合うことができる。フランス側でも、タジキスタンについて多くのことを知ることができたり、あるいはこのような映画が作られなければ知ることがなかったような文化を知ることになる。こういった面もあると思います。
◆フランスでは、外国映画を作るためにお金を使うということが時々あります。あなたがいまおっしゃったようなことは、監督本人に聞いていただくのが一番いいと思います。いま監督がここにいたらと思います。撮影監督の私個人としては、もしあなたがこの映画を観てヨーロッパすぎるとお感じになったとしたら、とても残念に思います。

観客3(日本語):出演している女優さんについてですが、Dinara Drukarova(ディナラ・ドロカロヴァ)が出ているとは知らなかったので、とても嬉しい驚きでした。とても不思議な魅力をもったこの女優さんについて、撮影監督からみて、どんな魅力を感じながら撮影を行ったかということを教えてください。それから、彼女がこの映画に出たきっかけ、Djamshed Usmonovと出会ったエピソードなどをもしご存じでしたら教えてください。

Pascal Lagriffoul:撮影監督として、彼女と仕事をするのは非常に楽でした。彼女はプロの女優ですので、カメラとの関係のとり方が非常にこなれていて、やりやすかったと思います。ほかの役者は、監督の弟であるヴェラの夫役のMaruf Pulodzoda(マルフ・プロゾダ)さんは、前回の『右肩の天使』にも出演していて、ほぼプロといえるかもしれません。主演のカマル役を演じた青年は全くのアマチュアです。ですから、彼らに比べると、Dinaraさんと仕事をすることは、撮影監督として非常に楽でした。顔の見せ方、体の置き方などが非常にこなれていました。それから、彼女の賢さのひとつは、こういったアマチュアの人たちとの共演が非常に上手だった、うまくいったということです。また、非常に人柄がいいので、撮影現場でもみんなとうまくやることができました。
◆監督が彼女をキャスティングした理由のひとつは、もちろん彼女を女優として非常に気に入っていたからです。もうひとつは、さきほどの質問に関係がありますが、フランスの公共の資金を製作費として受け取るには、撮影クルーや俳優などにフランス国籍の人を採用する必要があります。彼女はフランス国籍をもっている女優です。たとえばドイツのお金を得るには、撮影機材や映画の生フィルム、現像所など、ドイツのものを使う必要があります。そういう意味で、監督が彼女を非常に気に入っていたということもあるんですが、もうひとつには、ちょっとくだらないけれども製作上の理由があって彼女がキャスティングされたんです。

司会:ご存じの方も多いと思いますが、Dinara Drukarovaさんは、Vitali Kanevski(ヴィタリー・カネフスキー)の『動くな、死ね、甦れ!』や『ひとりで生きる』、日本では『やさしい嘘』というタイトルで公開された映画にも出ている女優で、もともとロシアの人ですけれども、フランス人と結婚したというようなことだったと思いますが、それで正しいでしょうか。また、主人公のカマルを演じた青年は、これもUsmonovの親戚の方だとお聞きしたんですけれども。

Pascal Lagriffoul:たしかに彼は監督の甥なんですね。前作は監督のお母さん、弟さん、家族のみなさん、伯父さんなどが出演していましたが、今回は甥が主演で、弟さんがヴェラの夫の役を演じています。このことは監督にとってとても重要なことなんです。タジキスタンには、このような映画に出演するような映画俳優がいないんです。舞台演劇の俳優は多少いますが、このような映画に出演してくれる人はいません。監督は、このような有機的なつながり、撮影隊と俳優の間に個人的なつながりがあることを重要に考えています。技術的に何ももっていないアマチュアであっても、監督本人との強力なつながりを大事にしています。

註:アンダーラインは、聞き取りが不正確で自信のない部分です。

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作成日:2006年11月26日(日)