第19回東京国際映画祭

『Rain Dogs』ティーチイン

開催日 2006年10月26日(木)
会場 TOHOシネマズ六本木ヒルズScreen 3
ゲスト 何宇恆ホー・ユーハン(監督)
張子夫ピート・テオ(出演)
司会
英語-日本語通訳 こやまさちこ?


司会(日本語):ひとことずつご挨拶をお願いいたします。

何宇恆(英語):どうもありがとうございます。ようこそおいでくださいました。私の映画にちゃんとお客さんがいらしたのを見て嬉しく思っています。

張子夫(英語):全く同感です。ありがとうございます。

観客1(日本語):とても美しい画面で、堪能させていただきました。無人で自然を写す画面とか、広いところでロングで人物を撮るところとか、リズムとか音楽の使い方も、侯孝賢の昔の作品にちょっと感じが似ていると思ったんですけれども、影響を受けた監督や映画は何でしょうか。

何宇恆:どうもありがとうございます。私も侯孝賢の昔の映画がとても好きです。直裁的で、一見シンプルだけれども実はとても複雑だというところがとても好きです。僕は、今では彼とほとんど友だちになってしまったんですが、彼は僕たちのような新しい駆け出しの監督にとても寛容で優しいんです。実際にこの映画の編集や録音は、侯孝賢がいつも一緒に仕事をしている方を使わせていただいています。

観客2(英語):とてもすばらしい、とてもスローなペースのすてきな映画をありがとうございました。二つ質問があります。まずどうしてこの“Rain Dogs”というタイトルにしたのか。ちょっとその意味がよくわかりませんでした。二つ目は曲の選び方です。『時には母のない子のように』を選んだのはどうしてですか。

何宇恆:まず“Rain Dogs”というタイトルについて。“Rain Dogs”というタイトルがなんとなくお客さんを呼びそうな気がしたというのがひとつの理由です。僕は、“Rain Dogs”という名前で10億くらいの違う映画を作れるんじゃないかと思います。そのくらいいろいろなアイディアがわいてくるような、人が入ってくれそうなタイトルだと思って選びました。最初にこのタイトルがあり、それから脚本を書きました。できあがってみると、出ている人たちはみな負け犬とかずぶ濡れの犬といった敗者的なイメージがあり、ぴったりだったと思っています。
◆次に音楽について。『時には母のない子のように』は、オデッタというゴスペルの女性シンガーが歌っているんですが、この曲には、「時には母のない子のように思う」と「私は故郷から遠く離れてしまった」という二つの歌詞しかありません。この映画の全体の色調にとてもよく合っていると思いますし、この主人公の兄弟はどちらも、そのように遠く離れてしまっているときがあったと思います。また、私たちはみんな、時々母のない子のように感じることがあるのではないかと思います。それから、『奇跡の丘』というパゾリーニの映画で、イエスの生誕のシーンにこの曲を使っていたのがとても印象に残っていたので使いました。

司会:タイトルといえば、オープニングのタイトル、映画のタイトルが、ずいぶん時間が経ってからばんと出たのにびっくりしたんですけれど、あれはどういう意図が?

何宇恆:あの置き方はまずかったかな、もっと最初に出せばよかったかなとも思ったんですが、あそこにもってくることは編集のときに思いつきました。映画を作るときいつも、最初にタイトルを出すのがとてもいやで、編集のときに迷ったんですが、ちょうどひとつの旅が終わって、また次の旅が始まるちょうどその間にもってきたんですね。本でいえば章の変わり目というか、前半と後半の分かれ目にもってくることにしたんです。
◆ちょうど今日私は友人と白黒映画を観に行っていたんですが、最初にオープニングのタイトルがあってタイトルロールがわーっと流れて、最後は‘END’で終わって何にもないというのが昔のやり方でした。今は最後に長ーいクレジットが10分くらいつくようになって、いつのまにか変わってしまいました。ハリウッドがそうしたのかどうかよくわからないんですが、なんだかおかしいですね。

司会:でも非常に斬新で、こういうやり方もあるのかと思ってびっくりしました。

観客3(日本語):すてきな映画を楽しませていただきました。ピートさんに質問があるんですけれども、ピートさんはシンガーソングライターというかミュージシャンという面で存じ上げていたんですが、今回初めて俳優という姿を拝見させていただいて、非常に自然に演技されているのにびっくりして、すごいなと思いました。ふだん音楽を作って演奏してという、そのすばらしさはよくわかっていたんですが、今回俳優として演じられて、音楽をなさるのと俳優とでどういった違いがあったのかに興味があるんですけれど。

張子夫:ステージの上で歌を歌うのと映画で演技をするのとでは、頭の中で起きていることはあまり変わりません。ステージでは音楽に対してそれを歌うことに敬意を表しながらやっていますし、映画では自分の役を演じることに敬意を表してやっています。シンガーソングライターとして僕は曲を書きますが、曲の中では物語を語りますので、ストーリーのもっているダイナミクス、強弱をつけるということに関しては、映画でも音楽でも自分なりに理解しているつもりです。だからそれはよかったかなと思っています。何宇恆監督とはもう長いこと友だちで、お互いに無一文の時代から、今も無一文ですけれども、ずっと一緒にやっています。監督も実は音楽をやっているし、そしてもちろん映画でたくさんの自分の物語を語っているので、彼のやりたいことを助けるのは友だちとしてとても楽しいです。

司会:張子夫さんは、何宇恆監督の映画は三本目なんですよね、これで。おふたりにお伺いしたいんですけれども、お互いのお仕事をするのはどういう感じなんでしょうか。かなり手ごわい相手なんでしょうか。

張子夫:実はこれが三回目です。最初は“Sanctuary”という映画にカメオ出演というか、ちょっとだけ出たんですね。次の映画では冷凍食品の役をやりました。ホラー映画というかショッキング映画で、僕は殺されてぶっちぎられて冷凍庫に入れられるというので、冷凍食品でした。今回はヤクザで、すてきないい役ばかりもらっています。
◆さっきも言いましたようにとても楽しくて、彼はとても才能があって、すばらしいストーリーテラーです。とてもスローなペースで、全然押しつけがましくなくて、自然にお話が前を通り過ぎて行って、ふと気がつくとどかっと胸に来るという感じです。僕は友人なので、ふつうの役者さんに質問したら違うことをおっしゃるかもしれません。お互い、夜中に全然寝ないタイプなので、朝の三時に電話がかかってきて一緒に飲みに行こうと言ったり、そこでお互いの映画や音楽のアイディアを交換し合ったりしています。お互いに、自分たちの場所やどこから来たかがよくわかっているので、実際の現場やセットでは滅多に話すこともないし、監督から指示が来ることもあまりありません。

何宇恆:友だちなので、全然遠慮しなくていいので助かります。もし彼がひどい演技をしたら、僕は監督なので彼の部分は切ってしまいます。あとはビールをおごって「ごめんね」ですむので、友だちでよかったと思います。

張子夫:こういうこともありました。僕に「すごく長いモノローグを書いてやるぞ」と言って、1ページくらいの台詞をくれたんです。一週間くらい前にその台詞をくれたので、鏡の前で一生懸命それを練習したんです。ところがセットへ行って、撮る5分前になってから、その台詞はやめて別のモノローグをくれたんです。それもどうにかうまくやって、自分でもうまくいったと思っていたら、結局カットされてなくなってしまいました。

何宇恆:今、張子夫は、演技者としていろんな監督からひっぱりだこなので、もうそろそろ音楽をやめたらと言っているんですけれど。

観客4(日本語):興味深い映画をありがとうございました。今日私は、東南アジアの映画を初めて観ました。私は日本人で、東南アジアには行ったことがなく、共感できる部分ももちろんあるんですが、習慣や文化の違いを感じて、理解しがたい部分がたくさんあってびっくりしました。マレーシアの方から日本の映画や日本を見て、どう感じるのかということを質問させていただきたいです。

何宇恆:言いたいことがたくさんあって、どう言ったらいいんでしょうか。私は日本の文学が好きで、古い日本の文学をたくさん読んでいます。今でも何かにつけてそういった本を読み返していますし、日本の古い映画も大好きで、何度も何度も繰り返し日本の映画を観ています。ですから、おかしいんですが、僕の知っている日本は古い日本なんですよね。新しい日本に来ては古い日本を探しているというところがあります。今の日本は本当にモダンなんですが、僕には理解できないことがたくさんあります。僕が日本の映画を好きになったきっかけのひとつは、成瀬巳喜男監督の古い映画です。ついそちらのイメージが強くなってしまい、今の日本ではかえって孤独感や孤立感を感じることがあります。

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作成日:2007年6月15日(金)