TOKYO FILMeX 2005
■■■『スリー・タイムズ』Q&A
開催日 ● 2005年11月19日(土) 会場 ● 東京国際フォーラム・ホールC ゲスト ● 侯孝賢(監督) 司会 ● 林加奈子 北京語-日本語通訳 ● 渋谷裕子
- ■司会(日本語):この『スリー・タイムズ』をオープニングで上映させていただけたことのすばらしさを、今胸いっぱいに味わっています。侯さん、本当にありがとうございました。
- ◆侯孝賢(日本語):どうも。
- ◆司会:お食事は十分召し上がられましたか。
- ◆侯孝賢(日本語):簡単です。
- ■観客1(日本語):監督の映画は全作品観ています。いつの頃からか「侯孝賢の世界」というような映画から離れて、純粋な意味での映画に近づいていく感じです。今日観させていただいた最新作も、今までの侯孝賢の映画とは全く違う、観たことのないような映画で非常に感銘を受けました。監督の中で、映画に対する想いや創作する視点が、ある時期から変わってきたのでしょうか。それとも、今まで変わらずに、自分の映画のスタイルを守って作ってきたのでしょうか。そこのところを教えていただきたいと思います。
- ◆侯孝賢(北京語):うーん、そうだね(日本語)。創作というのは道と同じで、どこまで行ってもたどり着けない、終わりのないものだと思います。その道を歩いていく過程で、しっかり自分を見つめ、いろいろなものを観察し、人間について思索します。人間とはどういうものなのか、それとどういうふうに向き合っていくのか。自分が創作というものに馴れきっていないか、自分の能力はどれくらいあるか、なぜ映画を撮っていくのか。そういうものを考えながら歩いていくのが創作の道であり、尽きることのない道だと考えています。
- ◆小説を読むときも、映画を観るときもそうですが、若い頃観たときの感覚、読んだときの感覚と、年齢を経てから観たり読んだりするときの感覚は、全く異なると思います。それは、台湾の政治状況、台湾の歴史を繰り返し考えさせられるのと同じだと思います。政治の中で歪められてきてしまうものや、真実がどこにあるのかわからなくなってくることの繰り返しが歴史となっているわけです。それは、私が映画を撮る中で、もうすでに撮り終えたと思ったものをまた繰り返すのと似ています。さきほど、創作の道は自分を問うもの、自分を見つめ直していくものだと言いましたが、私は自分が撮ってきたものを、これでいいのかどうか絶えず自分に問いかけ、歴史と同じように繰り返し問い続けていくわけです。
- ◆司会:侯さんの作品は、新しいけれど懐かしい、懐かしいけれど斬新だ、というようなところがまたものすごく魅力的なところだと思います。
- ■観客2(日本語):侯孝賢監督のファンで、今回とても楽しみにしていました。今日観られて嬉しかったです。この映画は三つのお話が出てきて、三組の男女が主人公になっているわけですが、その三組を同じ舒淇さんと張震さんが演じています。俳優が同じだというだけではなく、どのお話の張震さんも、どのお話の舒淇さんも、すごく似たキャラクターに見えたんです。時代も違うし、設定も違うし、背景も違う、ストーリーも違うのに、まるで生まれ変わりみたいにすごくよく似た人物に見えたんですが、意図してそういう演出をされたのでしょうか。それとも何か違う目的があったのでしょうか。
- ◆侯孝賢:この三つの物語は、1966年、1911年、2005年となっていますが、最初の計画としては、1966年のパートを私が撮って、あとの二つのパートを二人の若い監督と一緒に撮る、三人で一話ずつ撮るという計画でした。それを釜山のPPPに持って行ったんですが、誰も投資をしてくれる人がいませんでした。そのあとGIOに持ち込みました。GIOは30万ドル出してくれると言ったんですが、プロデューサーといろいろあって結局おじゃんになりました。というのは、当たらなかった場合の違約金として、10%を自分で払うように言われたんです。要するに、30万ドルの10%、3万ドルを自分で払わなければならない。そういう話になったので、この企画はいったんやめにして、自分で全作品を監督しようと決めました。それで私がもう一度話を練り直して、三つとも撮るようになりました。2005年の部分は、本来は80年代に設定されていましたが、この時点で2005年に変更しました。そしてここで、三つとも愛をテーマにしたラヴ・ストーリーに絞りました。三つの時代を背景にしていますので、その三つの時代にいた身分も異なる男と女が、その時代の影響を受けながら、どういうふうに愛が進行し、絡み合ってラヴ・ストーリーとなるのかというところを描いてみようと思い、このような企画にしました。
- ◆すいません(日本語)。この三つのストーリーを三ヶ月かけて撮っていく中で、舒淇と張震もだんだん自然に演じるようになり、三つの話の展開が、まるで三人のラヴ・ストーリーのようにうまく絡み合ってきました。さきほど各パートの男女がまるで同じ人たちのように見えるとおっしゃいましたが、それはこういうわけなんです。最初に撮ったのが2005年のパートで、次に1911年、最後に1966年のパートを撮りました。舒淇も最初はあまり慣れませんでしたが、だんだんと劇中の人物になりきるようになり、うまく進行するようになりました。
- ◆司会:ありがとうございます。ちょっと戻りますが、PPPというのは釜山国際映画祭のPusan Promotion Planという企画マーケットです。ここに企画の段階で出したときは、三人別々の監督の想定だったということをちょっと補足させていただきます。GIOというのは?
- ◆侯孝賢:GIOは新聞局(日本語)。台湾では、映画は新聞局(注:行政院新聞局)という役所が管轄しています。
- ◆司会:結局侯さんが全部作ってくださって本当によかったなぁと思います。
- ■観客3(日本語):これまでの侯孝賢スタイルが全部出ていたような気がして、非常に面白いと思いました。監督自身にそういう意図があったのかということと、年代順ではなくてちょっと前後しますけれど、こういう並びにしたのはどういう意図かということをお聞きしたいと思います。
- ◆侯孝賢:私の三つのスタイルとおっしゃいましたが、スタイルというのは内容から決まってくるものです。最初撮ったのは2005年のパートですが、そのときはまだ張震も舒淇もあまり慣れていませんでしたので、時間もお金もたくさん費やしてしまいました。二つ目に1911年のパートを撮ったんですが、だんだん慣れてきて、今度は12日くらいで撮り終えました。この話は1911年当時の古い言葉を使っていますが、二人とも練習する時間がなくて昔風の言葉が喋れません。それでサイレントにしました。内容からサイレントというスタイルが決まってくるというわけですね。三つ目は6日間で撮り終えました。これはいろいろな事情がありました。舒淇はほかの仕事が控えていましたし、撮影の李屏賓は日本の行定監督の作品に参加しなければなりませんでした。そのような実際的な事情があり、撮影もそのように進んだわけです。ですから、スタイルというのは現実的な事情から生じています。
- ◆順番のご質問ですけれども、2005年から撮り始めて、だんだん慣れてきて1966年のパートは6日間で撮りましたが、二人とももうすっかり息が合って、とてもリラックスして撮れました。これは私の経験を元にしており、私の青春時代の恋愛の思い出を撮っているので、私自身もとてもリラックスしていました。このリラックスして、二人の関係も甘い雰囲気が出せるようになってきたものを、一つ目の物語として入れました。二つ目は、これはサイレントで昔風のものですから、観客にとってはこのへんに入れるのがいいんじゃないかと思いました。三つ目は非常に重い話ですよね。その重い話を慣れてきたところで三つ目に入れました。観客のみなさんに三つの異なるテイストを味わっていただくために、みなさんの忍耐度をよく考慮して並べたのが、この三つの順番です。
- ◆司会:結果オーライだと思うんですけれど、本当に撮影というのはいろいろ切実な事情が絡んでくるんだなぁということを聞かせていただきました。
- ■観客4(日本語):質問は二つです。一つ目はちょっと抽象的な質問になってしまって申し訳ないんですけれども、今回の作品の原題は“最好的時光”だと思うんですが、三つのオムニバスのタイトルに「夢」という言葉がついています。その関連性、監督の意図しているところについて伺えればと思います。もうひとつは、一個目の作品にカメオで柯宇綸が出ていると思うんですが、出たきっかけ、どうして彼が出てきたかということのエピソードみたいなものがあれば教えてください。
- ◆侯孝賢:最初に柯宇綸が出たきっかけをお話しますが、これはすごく簡単です。柯宇綸は張震の親友で、しょっちゅうビリヤードをやっているからです。彼に敬意を表して特別出演としました。
- ◆“最好的時光”という原題についてですが、「最良のとき」、「一番いいとき」というふうにしたのは、必ずしもそのときが一番よかったんだという意味ではありません。それがもう帰らない日々だから美しく見えるということなんです。過去のひとつひとつの時間というものは、我々の記憶の中でだけ、思い出して生き返るものなんです。だから、記憶の中でもう一度思い出して、美しかったときを思ってみようという意味で、「最良のとき」という原題がつけられています。
- ◆「夢」についてですが、それぞれのパートについている「夢」というのは、全体のテーマを母とするとこちらは子であり、小テーマです。一番よいとき、最良のときの中にあるひとつひとつの夢というわけです。一つ目の「恋愛の夢」というのは、私が若いときに経験した淡い恋を思い出して撮ったものです。ビリヤード場のスコア係の女性に対する淡い恋心から、「恋愛の夢」というふうにつけています。二つ目は「自由の夢」ですが、なぜ「自由」かという理由は二つあります。ひとつは、当時は日本の統治でしたが、その日本統治から離れて自由になるための「自由の夢」です。もうひとつは、芸妓からすればいつまでも芸妓の身分でいないで、なんとか今の状況から自由になってきちんとした人のところに嫁ぎたいという「自由」への夢。三つ目は「青春の夢」ですが、これは現代の台湾の若者たちに共通して見られる、虚無的で退廃的で消費的な生き方を表しています。
- ■司会:この作品、『スリー・タイムズ』は、プレノンアッシュさんの配給によって来年2006年に公開を予定しています。みなさんも今日の感動を一人でも多くの方に伝えていただいて、公開時にもまたご覧いただければと思います。私たちも事務局としてプレノンアッシュさんに心から感謝し、またすばらしい作品をオープニング上映させていただけた幸せをかみしめています。そして侯監督にいらしていただき、本当にありがとうございました。
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