第18回東京国際映画祭
■■■『台湾黒電影』ティーチ・イン
開催日 ● 2005年10月23日(日) 会場 ● VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ6 ゲスト ● 侯季然(監督) 司会 ● 島敏光 北京語-日本語通訳 ● 水野衛子 日本語-英語通訳 ● かのう?
- ■司会(日本語):まずひと言ご挨拶をお願いいたします。
- ◆侯季然(北京語):みなさん、こんにちは。この映画を観に来ていただき、たいへん嬉しく思っています。気に入っていただけたら幸いです。ありがとうございます。
- ■観客1(日本語):今の映画で、黒電影が、台湾のほうからどうできあがってきたかということは非常によくわかったんですが、日本映画や香港映画の影響もあるかと思います。そのへんの監督のご意見をお伺いできればと思います。
- ◆侯季然:そうですね。たしかに日本や香港のそうした映画の影響はあったと思います。たとえば『女王蜂』というタイトルの映画がありましたが、ほとんど同じタイトルの映画が日本にもあったと思います。また、60年代から70年代はじめにかけて、香港でも特にショウ・ブラザーズによって、女性の復讐劇がたくさん撮られました。台湾の黒電影は、だいたい1979年から1983年にかけて出ましたが、その後は全くなくなります。90年になると、香港でまたそういう暴力的な映画が出てきて、それは今も続いています。ただ、香港のこうしたジャンルの映画はもっと多様化していますし、また非常に深刻なものに発展もしていると思います。
- ◆私のこの記録映画は、台湾の黒電影と、当時の台湾の社会との関連性によりフォーカスを当てたいと思いましたので、こういう形になりました。この映画が撮られる前は、これらの映画は台湾の映画史のなかで完全に無視されてきたんです。ですから今回は、こういう映画があったんだということをあらためて持ち出してくることによって、そうした映画の歴史的意義は何だったのかということにフォーカスを当てたいと思いました。実際、香港や日本の映画の影響もありましたが、今回はそこまで発展させることはしませんでした。
- ■観客2(日本語):劇中の監督の証言の中で、当時の映画界で俳優を交渉するにあたって、黒社会との関わりの話がちょっと出てきました。このような当時の黒社会との関わりについて、取材などされたようでしたら、詳しく教えていただきたいです。
- ◆侯季然:今回この映画に出資してくれた映画会社の社長、あるいはそのほかの映画会社の関係者たちも、いわゆる黒社会とかなり関係があったりしますので、実際に正面きってこの問題について語ってくれたのは朱延平監督とエディターの陳博文さんだけでした。しかし、ほかにも文献資料も探しましたし、映画批評家たちの口述の中でもそうした事実を確かめることができました。
- ■観客3(日本語):興味深い映画をありがとうございました。劇中、当時の映画界と黒社会との関わりについて触れられていたんですけれども、今回この映画を撮るにあたって、監督が撮影現場や編集現場やその他の現場で恐い思いをされたり、圧力を感じたようなことがあれば、話せる範囲でぜひお聞かせください。
- ◆侯季然:はじめは私たちもたいへん心配しました。実際に映画を撮る段階、あるいは許可を得る段階から、この映画の中ではどうしても黒社会のことに触れざるを得ないと思いましたので心配しましたが、結局は現在に至るまで、関係者からの脅しやそれに類するようなことは一切ありません。
- ■観客4(日本語):映画の中で引用されていた当時の映画はかなり刺激的で、できれば全篇通して観てみたいと思いました。先ほど、映画史の中でも忘れられた存在だという発言がありましたけれども、台湾では、これはソフト化といいますか、今観れるような形になっているのでしょうか。
- ◆侯季然:この映画の中で8本取り上げているんですが、DVDもVCDも全く出ていません。台湾の電影資料館で、4本だけ見つけることができました。それらは全部フィルムです。ディジタル化もヴィデオ化もされていませんでした。それから、ネガだけの、フィルムにもなっていないものを1本見つけました。
- ◆残りの3本はどこへ行ってもありませんでした。台湾では、お寺などをあちこち巡業して、露天でスクリーンを張って映写する業者がいます。仕方なくそういう業者のところへ行き、西門町にある業者の倉庫で3本見つけました。『女王蜂』や賭博の映画です。その倉庫も湿気がものすごく、非常に悪い保存状態でした。なにしろ昔のものなので、その倉庫にフィルムがたくさんある一番下から見つけたのが『女王蜂』です。『女王蜂』のフィルムを収めているケースは完全に錆びており、フィルムそのものもカビが生えていました。また、あちこちで何度も上映したので、キズも相当ひどく、フィルムそのものがものすごく変質していました。これをなんとかヴィデオにできないかと思って現像所へ持って行きましたが、そこのスタッフに、「これはあまりにも程度が悪く、切れてしまったり、かびているところが駄目になったりしてしまうので、ヴィデオ化はできない」と言われました。やむなくまた戻り、その業者に実写してもらってそれを撮りました。
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