第18回東京国際映画祭

『長恨歌』ティーチ・イン

開催日 2005年10月22日(土)
会場 VIRGIN TOHO CINEMAS 六本木ヒルズ2
ゲスト 關錦鵬(監督)
鄭秀文、胡軍(出演者)
司会
北京語-日本語通訳


観客1(日本語):とてもすばらしい映画で感動しております。こんな最初だと思わなかったので、…いきなり胡軍さんでよろしいでしょうか。私はとてもあなたのファンで、実は舞台がとても好きで、舞台の勉強もなさった方なので、ぜひとも舞台の公演も拝見したいと思っています。ちなみに日本には、蜷川幸雄というすばらしい舞台監督、演出家の方がいらっしゃるんですが、そのお名前をぜひ憶えておいて、日本でも舞台を拝見したいと思っています。日本の映画に出るご予定はありませんでしょうか。

胡軍(北京語):機会があれば、そしていい脚本、いい作品があればやってみたいと思います。中国の役者に日本の役者、あるいは中国の監督、日本の役者という組み合わせでもいいんですけれども、機会があればやってみたいと思います。

司会(日本語):胡軍さん、今回は、ひとりの少女を愛して、ひとりの大人の女性にして、そして最後はふってしまうという役どころなんですけれども、どういうふうにこの役柄をとらえて演じられましたか。

胡軍:非常に重要な役柄だと思っています。この李主任という人はとても重要な役割を果たしていると思います。最初にヴェネチアでこの映画を観たんですけれども、王琦瑤にとって最初の男性であり、最後の男性であったと思いました。

観客2(日本語):映画らしいすてきな映画をどうもありがとうございました。私は鄭秀文さんのファンなんですけれども、今日この会場に来られなかった日本のファンもたくさんいるので、みんな応援していますというメッセージを預かってきました。質問なんですが、この映画で鄭秀文さんが演じられた役を、映画が終わってもなかなか抜け切れなかったというふうに聞いているんですけれども、この役に対する思い入れや、抜け切れなくてたいへんだったところを教えていただければと思います。

鄭秀文(北京語):今思い出すと、この役は私にとって本当に大事な、捨てがたい役だったんです。撮影期間が4ヶ月半という長い時間だったので、一緒に撮っているスタッフや一緒に撮っている人たちとの間でもすごくいい関係が生まれ、個人的にはこの役柄から抜け出すのが大変でした。今はもう抜けました、大丈夫です。ただ今後同じような感じの映画の話が来たときには、もう経験がありますので、今よりももっと簡単に抜け出せるかと思います。でもそういうことに関しては、私の先輩である胡軍さんにいろいろ聞かなきゃいけないと思います。

観客3(日本語):私は關錦鵬監督の大ファンで、この映画の企画があがったときから、とてもとても楽しみにしていたので、今日観られて本当に感動しています。質問なんですが、二つあります。ひとつめはちょっと答えにくい質問かもしれないんですけれども、この映画が先月ヴェネチア国際映画祭に出されたときに、直前に中国国家電影局の指導でカットになったシーンがあったという報道を拝見したんですね。その報道は事実か。事実であったらどういうシーンであったかということと、そういう指導があってこういう結果になったことに対して監督はどうお考えなのか。またこういう検閲制度に対してどういうふうにお考えかをお答えいただきたいです。

關錦鵬(北京語):この映画は合作映画なんです。ですから審査を受けることは必ず通らなければならない手続きです。10年前に同じ映画を撮ろうとしたら、たぶん許されなかったんじゃないかと思います。ただ今はこの映画を撮ることができたということで、中国政府の審査がすでにかなり開放的になっていると感じています。
◆たしかに一部カットしろと言われました。文化大革命のときに紅衛兵が家の中を荒らすシーンです。文化大革命というテーマは、中国の映画においてはやはりまだ敏感なテーマです。ということで指導に従ってカットしました。
◆個人的な考えでは、この年代のハイライトが少し減ってしまったという感じがしています。しかし映画全体に対しての損失はあまりないと思っています。特に、もともとの小説の中では、文化大革命の部分は空白なんです。この映画の中で、文化大革命の情景や雰囲気を撮ることができたことだけでも、かなりよかったと思います。
◆全然答えにくい質問ではありませんので、何でも質問してください。ありがとう(日本語)。


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作成日:2005年10月22日(土)
更新日:2005年10月24日(月)