シネコレクション 監督特集 王家衛ウォン・カーウァイ

講演「王家衛が描く香港」

開催日 2005年2月19日(土)
会場 パルテノン多摩 小ホール
講師 梁秉鈞(文学・映画研究者、都市文化評論家/嶺南大學教授)
広東語・日本語通訳 韓燕麗


講演
王家衛の出現
香港映画界のなかの王家衛
60年代三部作と60年代の香港
王家衛と香港文化
王家衛映画が描いた香港の空間
『2046』の時間構造
「2046」とは何か
質疑応答

■ 講演

みなさん、こんにちは。今回、多摩市文化振興財団にお誘いいただき、ここでみなさんと会えたことをとても感謝しています。この機会に、王家衛映画が描いた香港、香港文化における王家衛の位置づけなどについてお話しさせていただき、日本のみなさんと交流することができればと思います。

● 王家衛の出現

香港映画において、王家衛監督は特異な存在だと思います。彼のデビュー作、『いますぐ抱きしめたい』は、香港の黒社会、すなわちヤクザの殺し合いや友情を描いたギャング映画で、興行的に大成功しました。だから一般の観客も香港の映画評論家も、彼の二作目に対してかなり期待していました。

その二作めの映画、『欲望の翼』は、製作期間がとても長く、その間、映画の内容に関する情報は一切公表されませんでした。ただ張國榮、張曼玉、劉徳華、張學友、劉嘉玲、梁朝偉といった大物スターが出演することだけが知られていました。映画は1990年の11月のホリデー・シーズンに公開されましたが、フタを開けてみると、この映画は当時の主流の香港映画とはかなり違うことがわかりました。観客が期待していた銃撃戦もなければ、美しい恋愛物語もありません。梁朝偉は最後にちょっとだけ出てきましたが、台詞はひと言もなく、ずっと髪を梳いているだけです。みんな「いったいどういうこと? わかんない」と言いました。

公開当時は、ほとんどの観客が「この映画はわけがわからない」と言い、映画評論も好評なものは少なかったのです。しばらくして“號外”という雑誌がこの映画の特集を組んでから、だんだんと映画の撮影や美術、音楽や人物像などについて肯定的に論じる評論が出てきました。

実際、王家衛監督の演技指導力はなかなかのものです。たとえば『欲望の翼』の中で、放蕩息子、旭弟ヨディを演じた張國榮、そして彼の恋人、露露ルルあるいは咪咪ミミという女性を演じた劉嘉玲は、香港電影金像奨の主演男優賞と最優秀助演女優賞1を獲りました。そのほか、賞は獲れませんでしたが、劉徳華が演じた警官、張學友が演じたコンプレックスをもつ友人は、それぞれ魅力的なものでした。梁朝偉はちょっとしか出てきませんでしたが、ずっと髪の毛を梳いているだけのそのシーンは非常に魅力的でした。王家衛の映画はいつも製作期間が長く、俳優に対する要求もとても厳しい、たとえば何回も何回もNGを出しますが、それにもかかわらず喜んで彼の映画に出演したいという有名スターはたくさんいます。

『欲望の翼』は最終的に、香港電影金像奨の最優秀作品、最優秀監督、最優秀撮影、最優秀美術、最優秀主演男優など多数の賞を獲りました。この映画は、王家衛映画の基本的な基軸を打ち立てた作品であると同時に、彼の作品の中で最も活力溢れた作品でもあります。この映画以降、彼の作品に対する評価はいつも褒貶相半ばしています。

その極端的な例は『楽園の瑕』です。当時、“信報”という香港の大きな新聞が、正反対の観点をもつ映画評論家を誘って座談会を開き、まるごと2枚の紙面を割いて掲載しました。

王家衛映画の上映はいつも香港文芸界の大事件です。なぜなら、上映されるといつも論争を起こすからです。彼の映画は製作期間が非常に長く、脚本を絶えず書き直し、おびただしい数量のフィルムを費やしますが、実際に使うのはほんの少し。これらの特徴は多くの批判を招きますが、同時に彼の正確な演出力、撮影、美術、および音楽における新鮮なタッチは、多くの評論家に賛美されています。彼の作品を模倣する監督もいれば、からかったり風刺する人もいます。それはほかの監督ではあまりみられないことです。

一方、王家衛の映画は海外でも高く評価されており、海外において香港文化への興味を引き出しています。張藝謀のような中国大陸の第五世代の監督が描く中国文化とは別の一面を見せてくれる彼の作品は、若い外国人の監督たちにも受け容れられています。たとえば最近の例では、『ロスト・イン・トランスレーション』の監督、Sofia Coppolaが、かつて王家衛の映画から影響を受けたと感謝の意を表したことがあります。

王家衛映画に関する本も、中国語でも英語でもたくさん出版されています。《一冊の本を見せて》これは最近香港で出版された、王家衛に関する専門的な本です。王家衛は日本の観客にもたくさん紹介されています。こういう香港の監督は珍しいです。

● 香港映画界のなかの王家衛

次に、香港の映画業界における王家衛監督の位置づけについてお話ししたいと思います。

王家衛監督は1980年代に香港の映画界に入りましたが、最初は脚本を書いていました。彼が映画界に入る以前の70年代に、みなさんもご存じのように香港ニューウェーヴが起こり、戦後生まれの若い世代が文学、音楽、映画などにおいて自らのカルチャーを打ち立てました。王家衛はこの70年代のニューウェーヴ以降に出てきた監督で、ニューウェーヴからも影響を受けています。

香港映画の歴史を振り返ってみると、50年代は、広東の戯曲を脚色したものや、都会の恋愛小説を脚色したものが多いです。これは基本的に、かつての大陸文化の続きと考えられます。60年代になると、二つの大きな映画会社が現れました。ひとつは、東南アジア華僑の資本で設立されたキャセイという映画会社で、現代劇のコメディやミュージカル、メロドラマを量産していました。もうひとつは、上海の天一を前身とするショウ・ブラザーズという映画会社で、黄梅調映画や時代劇、武侠映画などの商業映画をたくさん作っていました。

70年代になって出てきた若い世代の監督たちは、香港で映画製作の経験を積んだ人もいましたが、海外で映画製作の勉強をした人もたくさんいました。徐克、許鞍華、譚家明、方育平といった監督たちが、70年代後半から80年代初頭にデビュー作を作りました。彼らはフランスのヌーヴェルヴァーグやイタリアのネオリアリスモの影響を受けており、従来のスタジオでの製作方法とは異なり、手持ちカメラや素人の俳優を使い、香港で起こった、香港自身の物語を作っていきます。

王家衛監督が映画界に入ったころの香港は、かつてのショウ・ブラザーズのような大きな会社がだんだんなくなってきて、小さな映画会社が増えていました。彼は海外で映画を勉強したことはありませんが、そのような会社で働いていたので香港ニューウェーヴの影響を受けました。

小さい映画会社では、たとえば脚本を書くにしても、みんなで一緒に書くというような仕事のしかたが多く、王家衛が自分の特徴を出す機会はあまりありませんでした。彼の初期の脚本家としての仕事の中で、比較的彼の特徴が出ている、評価の高い作品として、譚家明監督の“最後勝利”があります。

その中で二人の監督2、ひとりは陳勲奇という監督ですが、王家衛は彼のために脚本を書いたことがあります。陳勲奇も王家衛映画の音楽を担当したことがあります。もうひとりは劉鎭偉で、彼は王家衛の親友です。王家衛は彼の協力で澤東製作有限公司ジェット・トーン・プロという映画会社を設立しました。劉鎭偉の映画の中では、王家衛映画の台詞を喋らせたり、王家衛映画を思い出させたりすることもあります。王家衛も劉鎭偉の“天下無雙”の製作を担当したことがあります。

王家衛は、譚家明からの影響が最も大きいといわれています。譚家明監督は、香港ニューウェーヴの監督たちの中で、最も視覚的なスタイルや色彩、構図に力を入れていました。彼の映画の撮影や美術には、非常に実験的なものがありました。残念ながら彼の実験的なスタイルは、80年代には興行的には成功できず、彼はその後テレヴィ・コマーシャル制作などに転向しました。のちに王家衛が『欲望の翼』や『楽園の瑕』を撮ったとき、譚家明は編集を担当するなどかなり手伝いました。

譚家明の感性的な映画の実験は、王家衛によって実を結びました。王家衛の映画は、高い評価や多くの賞を得たと同時に、興行的にも失敗していません。おそらく時代が変わったからでしょう。『恋する惑星』はアメリカの監督Tarantinoから賛美され、『ブエノスアイレス』はカンヌで最優秀映画賞3を獲りました。『花様年華』もヨーロッパで大いに受けました。王家衛映画の多くは海外の映画祭に参加し、外国の映画評論家に紹介されています。そのおかげで彼の映画は、芸術性がありながら商業的にも採算がとれています。

王家衛の映画は、ヤクザものもあれば恋愛ものや武侠映画もありますが、ジャンル映画という枠の中でも、常に新鮮なタッチを取り込んでいます。彼の映画もスターを利用していますが、映画のスタイルによって逆にスターをうまく使いこなしています。それに、美術、撮影、音楽などにおける工夫や、彼はもともと脚本家でしたから、脚本や演出における強い力が、国際的に資金が流通している今日、彼の映画製作に多くの支援をもたらしてきました。市場の商業的な制限があっても、自分のスタイルを貫くことが可能になったのです。

● 60年代三部作と60年代の香港

次に、香港の60年代三部作と60年代の香港との関係についてお話ししたいと思います。今回パルテノン多摩の王家衛特集で4本の映画が上映されますが、この中の『欲望の翼』『花様年華』『2046』は、あわせて香港60年代三部作ということができます。そのほか『ブエノスアイレス』は、香港返還の1997年に製作されたもので、話の舞台はブエノスアイレスであり、表面上は香港とは直接関係がないように見えますが、全く無関係ではありません。

まず『欲望の翼』は、1960年を起点とした物語です。映画の最初に、「今は1960年4月16日午後3時」という張國榮の台詞があります。この映画には、60年代の大事件、名所旧跡、有名人などは出てきませんが、全体的なスタイルは、60年代の香港にオマージュを捧げるものです。それは映画の細かな美術の面で表されています。たとえば南華體育會という当時の体育館の切符売り場、小さな売店、古いコカ・コーラの壜とそれを入れる木製のケース、黒猫というブランドの煙草、皇后飯店Queen's Cafeの旧式の席、夜間巡回の警官の出勤簿、旧式の電話ボックス、それに昔の音楽とダンス、昔ながらの古い人物像。たとえば当時は上海から来た人がたくさんいましたが、映画の中で潘迪華が演じた母親は上海から来た女性です。

この映画の中国語の原題は“阿飛正傳”といいますが、この中にある‘阿飛’という言葉自体がその時代のシンボルでもあります。当時の香港は、戦後生まれの若い世代が様々な社会問題を起こし、青年教育の問題が注目され始めてはいるが、まだ解決されていないという時代です。‘阿飛’あるいは‘飛仔’というような言葉は、そのころ香港で流行っていた、青少年に対する懐疑的、軽蔑的な呼び名です。

この“阿飛正傳”というタイトルは、実はNicholas Rayの有名な映画、『理由なき反抗』の香港公開時の中国語タイトルでもあります。ご承知のように、James Deanが演じる主人公は、50〜60年代の反逆児のシンボルです。

また、『欲望の翼』の英題、“Days of Being Wildは、50年代の反逆児、Marlon Brandoの出演した映画、『乱暴者』を思い出させます。『乱暴者』の原題は“The Wild One”です。その主人公は荒々しい気性の持ち主で、自分のアイデンティティを確認することができず、恋愛感情にのめりこめずに長い安定した関係を維持できない。王家衛の『欲望の翼』は、60年代の現実を描いているというより、心理的な面から60年代の雰囲気を捉えようとしているのではないでしょうか。

次に『花様年華』は、60年代半ばの香港での物語です。この映画も、当時の香港の現実の事件などについては全く言及していませんが、華やかなチャイナ・ドレス、広告がたくさん貼りつけられて漆喰が剥げ落ちている壁などによって、60年代の雰囲気を醸し出しています。この映画は特に、感情を表に出さずにおさえつける重苦しい時代の空気をうまく描き出しています。ヒロインのボスの役として、雷震という60年代の有名な男優に出演してもらいましたが、それも60年代の映画人に対するオマージュです。

60年代は、戦後の香港発展のターニング・ポイントでした。1949年以降の難民都市の貧しい生活、当時のアメリカとソ連の冷戦を経験したあと、香港では依然として貧富の差が激しいままでした。そのころから商工業が発展し始めましたが、伝統的な儒教の道徳感が健在している一方、欧米からポップ・ミュージックも入ってきました。チャイナ・ドレスと洋服、ネクタイとハンドバッグ、日本からの炊飯器と広東の雲呑麺、そして銀行とスラム。Nat King Coleのジャズ音楽もありました。一方、1967年には香港で反英暴動があり、その前年の1966年には中国大陸で文化大革命が始まっています。すべてが共存しながら蠢いていた、抑圧的であると同時に曖昧な時代でした。

王家衛の60年代三部作の時間設定は、ちょうど60年代の10年間を網羅しています。最初の『欲望の翼』は1960年から始まり、『花様年華』が終わるのは1966年です。『2046』は1967年から1960年代の終わりまでで、さらにそこから未来を予想しています。最後の『2046』は、それまでの作品のまとめであり、同時にそれまでの作品の解釈でもあります。

たとえば、『欲望の翼』の最後で梁朝偉が髪を梳いているシーンを観て、我々はわけがわからないと思います。しかし『2046』を観ると、主人公の周(梁朝偉)はまるで『欲望の翼』の旭弟の延長です。そして露露(咪咪でもあります)の目には別の男が旭弟のような脚のない鳥にうつります。たとえば張震が演じたフィリピンのドラマーを、脚のない鳥と見立てるところがあります。『2046』は、『花様年華』の主人公、周を主人公に、より充実した展開を見せます。そこでは、蘇麗珍という女性はあいかわらず彼の恋しい人なんです。このように、『2046』は今までの作品のまとめであり、解釈でもあります。

● 王家衛と香港文化

次に、王家衛と香港文化について話したいと思います。特に、香港の混合の文化、芸術的なものと通俗的なものとが混ざった文化、政治文化、都市文化という四つの面からお話ししたいと思います。

王家衛は上海生まれで、5歳のときに香港にやってきて、香港で育ちました。彼の60年代三部作には、上海から南下した文化的な痕跡がたくさん残っています。同時に、中国大陸とは異なる香港独特の都市文化も見られます。

『欲望の翼』と『花様年華』の中では、上海から来た人が上海語を喋っています。基本的には広東語の映画ですが、たとえば潘迪華が演じた役はずっと上海語を喋っています。そのほか、映画の中で使われている音楽、たとえば“花様的年華”という曲は、昔、上海で周璇という歌手が歌っていた古い歌です。同時にアルゼンチンのタンゴ、Nat King Coleの音楽、広東の戯曲や京劇の音楽など、様々なものが混在しています。これは香港の複雑な文化をよく表しています。

『花様年華』と『2046』は、劉以鬯という香港の有名な小説家の二つの小説からインスピレーションを受けています。ひとつは“對倒”、もうひとつは“酒徒”で、“酒徒”は「飲ん兵衛」という意味です。それぞれ1972年ごろと1963年の小説です。『2046』は、新聞のコラムを執筆したりする文人、周の物語ですが、周は『花様年華』の中で武侠小説を書きます。『2046』の中では、武侠小説やSF小説、通俗恋愛小説を書きます。『2046』に描かれているこういった文人の原稿料は、1000文字でHK$10程度ととても低く、新聞のコラムに原稿を書きながら、生計のためにどんなものでも書いてしまいます。こういった描写は、50〜60年代に原稿を書いて生計を立てていた文人の真実の一面だといえます。

しかし、現実の50〜60年代の香港の通俗文化はもっと複雑でした。たとえば金庸の書いた武侠小説や、広東語、北京語、中国の古い文語の混ざった小説、劉以鬯の書いた実験的な現代小説などが同時に存在していました。現実の劉以鬯は、映画の中で描かれた周のようなロマンティックな生活を送ることはできませんでした。当時の作家は非常にたくさんの小説を書かなければなりませんでした。同時に13作の小説を書いたとか、一日に13000字、原稿用紙で30枚以上を書いたという話もあります。

王家衛監督の映画を観ると、たとえば『楽園の瑕』は金庸の小説から来たものであり、王家衛は金庸のような通俗的な武侠小説にも興味をもっています。同時に劉以鬯のような実験的で芸術性の高い小説からも影響を受けています。

このように、文学的、芸術的な要素と通俗的な要素が共存している状況も、香港文化の一面をよく表しています。香港における映画製作は、中国大陸や台湾とは根本的に違います。大陸のように国営の大きな撮影所もなければ、台湾のように政府から支援金を貰えるわけでもありません。香港の映画会社はすべて民間経営であり、自力で会社を維持しなければなりません。王家衛映画のような芸術的な作品でさえも、このような映画産業の中で生まれたものなのです。

90年代に入ると、香港映画にも政治的な要素が入ってきました。特に、1997年の香港返還について語る映画がたくさん作られました。王家衛の映画は、明示的に政治的なことを語るわけではありませんが、彼独自の角度から、別の方法で政治的なことについて語っています。

誰もが1997年の香港返還を話題にしていたころ、王家衛は遠いアルゼンチンへ行って『ブエノスアイレス』を撮りました。『ブエノスアイレス』の二人の主人公は、遥か遠い他郷へ行き、いろいろな問題がもつれて故郷へ帰ることができません。アルゼンチンは地球上で香港の裏側にあります。映画の中で、アルゼンチン、ブエノスアイレスは明らかに「在」であり、香港は明らかに「不在」です。

『ブエノスアイレス』は、モノクロとカラーの交錯で異郷にいるふたりの感情の起伏を描きますが、その様々な色彩は、登場人物の心理的な色彩でもあります。

『ブエノスアイレス』に香港はずっと出てこず、最後になってやっと出てきますが、それは逆転した形として認知されます。鄧小平の発言や返還の情報も出てきますが、これは異国の夢の中で見たものなのか、それとも帰ることのできない故郷で見たものなのか、はっきりとはわかりません。

主人公のひとり、梁朝偉は、ずっと香港へ帰りたかったのですが、実際に彼が帰ることができたのは、もうひとりの登場人物、張震が演じた男性の故郷、つまり台北です。彼は台北の遼寧街へ行き、張震の家族と会いました。香港は、帰りたいけれども帰り道は短いようで長く、迂回しながらなかなか帰れません。中国の古文に、‘近郷情怯’という、故郷に近づいたのにはじけてしまうという意味の言葉がありますが、これはちょうどこの言葉のとおりなのです。

王家衛監督は、香港映画の主流の監督ではありません。彼はいつも、ほかの人とは違う方法を選んでいます。同時に彼は、別の方向から香港文化の一面を描きだしており、異なる考え方を提示しています。

● 王家衛映画が描いた香港の空間

王家衛映画の描いた香港文化のひとつの面として、香港の特色のひとつである都市の感性が挙げられます。ここでは、王家衛映画が描いた香港の空間についてお話ししたいと思います。

王家衛は写実の監督ではありませんが、『いますぐ抱きしめたい』の中で、彼は旺角の都市空間をうまく描きだしています。対照的に、大嶼山ランタウ島を使って、静かで和やかな生活への期待を象徴します。また調景嶺も登場します。

『欲望の翼』の主人公、旭弟は落ち着かずに、ひとつの空間からもうひとつの空間へとずっと移動していました。カメラは彼に従って、60年代の古い建物や植民地風の食堂を見せていきます。旭弟とは正反対の性格である夜間巡回の警官は、繰り返し半山の街角を歩きます。特に、蘇麗珍と一緒に電車の軌道に沿って歩いていたシーンが忘れがたいです。一方、最も有名な香港の都市空間を描いたのは『恋する惑星』で、それは尖沙咀にある重慶大廈チョンキン・マンションと、Midnight Expressというファスト・フード店です。この映画の英題は、ちょうどその二つの場所の名前をつなぎ合わせた“Chungking Express”です。

この「つなぎ合わせ」というのは、王家衛映画の視覚スタイルの特徴でもあります。たとえば『天使の涙』では、室内と室外の都市空間をひとつの画面につなぎ合わせた構図が見られます。『楽園の瑕』は砂漠を舞台としたユニークな武侠映画で、『ブエノスアイレス』は一転して南米のアルゼンチンでロケーションをしています。これらの映画は、美術設計や撮影において、新鮮なタッチをもたらしました。王家衛が最も得意とするのは、限られた空間で古い情緒や情景を表現することです。たとえば古いホテルの部屋、オリエンタル・ホテルの看板の一角、一本の古い万年筆、古い電話などです。王家衛の映画の美術は、いつもちょっとした小さいもので、大きくて全体的な雰囲気を醸し出しています。

● 『2046』の時間構造

王家衛の映画は、時間順でわかりやすく物語を語ることは滅多にありません。むしろ空間をつなぎ合わせて映画を構成していきます。時間は、心理的な時間、孤立した時間である場合が多いのです。たとえば、『欲望の翼』の中で旭弟が言った「1960年4月16日午後3時前の1分間」があります。彼は麗珍と一緒にこの1分間を過ごし、ふたりは1分間の友だちになりました。この時間は記憶の中にある心理的な時間であるといえます。

王家衛の最新作、『2046』の意外なところは、今までの彼の映画に比べてずっとわかりやすかったことです。有名な俳優を使い、製作に5年間もかかり、製作費用もほかの映画に劣らず膨大でした。だから複雑でないというわけではないのですが、比較的にわかりやすい叙述方法をとっています。

この映画がわかりやすい理由のひとつは、画面外のナレーションがあったからだと考えられます。主人公の周は香港のジャーナリストで、かつてシンガポールで仕事をしていたことがありますが、1966年末に香港へ帰り、灣仔のオリエンタル・ホテルに部屋を借りてコラムニストとして生計を立てます。映画の冒頭のSF小説の断片と、白玲と出会って昔のことを思い出した部分とを除けば、この映画の主なラインは、4つのクリスマス・イヴによって時間順に構成されています。

最初のクリスマス・イヴは1966年で、周はシンガポールで知り合った露露と偶然に再会し、彼女をオリエンタル・ホテルに送ります。そのとき、彼女が2046号室に住んでいることを知り、あとでそこへ行くことになります。二番目のクリスマス・イヴは1967年で、周は章子怡が演じる白玲というダンサーと飲み友だちになり、ふたりの仲は深まっていきます。三番目のクリスマス・イヴは1968年で、周はホテルの経営者の娘と一緒に食事をします。そして四番目のクリスマス・イヴは1969年で、周はタイ4へ行き、鞏俐の演じた蘇麗珍という名前の女性を探します。4つのイヴは4人の女性との物語でもあります。

この4人の女性との関係の中で、主人公の周はずっと、『花様年華』の中で張曼玉が演じた蘇麗珍の面影を探しているようです。たとえば露露の部屋番号は2046ですが、それはかつて周が麗珍と一緒に借りていたホテルの部屋番号でもあります。白玲と一緒にタクシーに乗るシーンは、かつて麗珍と一緒にタクシーに乗ったシーンを思い出させます。王菲が演じたホテルの経営者の娘が自分の代わりに武侠小説を書くところは、かつて麗珍と一緒に武侠小説を書いたシーンと呼応しています。鞏俐が演じるプノンペンから来た女性は、名前も同じ蘇麗珍です。監督は彼女を漆喰が剥げ落ちた古い壁の前に立たせ、視覚的にもかつての周と麗珍を思い出させます。周は4人の女性と関係をもちますが、最終的に周は、それぞれの関係が肉体的なものであれ精神的なものであれ、新しい関係は昔の関係に取って代わることは到底できないと気づきます。

恋愛には時間性があり、代わりのものはありません。すべてが過去と同じということは到底無理ですから、周はただ自分が出会った人々をSF小説に書くことしかできません。彼は自分が日本人だと想像し、2046というところから出る列車の中でアンドロイドに恋してしまいます。その列車には、1224と1225という特に寒いゾーンがあり、そこでは人は他人の体から温もりを貰わなければなりません。この特別なゾーンはつまり、現実の中のクリスマス・イヴです。それは人々が特に温もりを必要とするときです。このように、映画の物語はクリスマス・イヴをターニング・ポイントにして展開していきます。

● 「2046」とは何か

最後に、「2046」という番号はいったい何かということについて、簡単にお話ししたいと思います。映画の中で「2046」というのは、まず『花様年華』の中で二人の男女が借りていたホテルの部屋番号でした。『2046』では、シンガポールから帰ってきたばかりの周が露露というダンサーと再会し、彼女を送るときに彼女の部屋番号が2046であることを知ります。そしてそこに住みたいと希望するのですが、あいにく露露が自分に恋するドラマーに殺されて、部屋の片付けが間に合わなかったため、周は2046号室を借りることはできず、2047号室を借ります。その後彼は、2046号室を借りた白玲と関係をもちますが、最終的にふたりは別れます。「2046」というのは部屋番号ですが、それは取り戻せない記憶、代わりのない過去の恋の象徴でもあります。

主人公の周は新聞に連続小説を執筆しており、自分の出会った人物を登場させて『2047』というSF小説を書きます。小説の登場人物は皆、2046という場所へ行きたがっています。2046はすべてが永遠に変わらないところで、そこへ行きたい人は過去の記憶を見つけたい人です。この2046という場所は、さきほどの部屋番号と同様に、理想的でありながら永遠に到達できない空間の象徴です。しかし現実の中の周は、2047号室に住むことしかできず、『2047』という題名の小説を書くことしかできませんでした。「2047」は「2046」とは違います。小説も現実そのものの反映ではありません。小説にはそれ自体が自ら展開するという原理があり、私たちが期待する理想と同じにはなりません。だから、王菲が演じた女性が、「小説の結末が悲しすぎるから変更できませんか」と周に伝言しましたが、そこからカメラは周のペン先を写し、「1時間が過ぎた」「10時間が過ぎた」「100時間が過ぎた」と出ますが、ペン先はなかなか進みません。心残りはありますが、ペンは小説の物語を変えることはできませんでした。

「2046」という番号にはもうひとつの意味があります。1997年の香港返還の前に、鄧小平は、「香港は一国二制度のもとで50年間変わらない」と宣言したことがあります。50年後の最後の1年が2046年です。「50年間変わらない」というのは、当時の香港人の心境を考慮しての発言です。すなわち、「中国大陸の社会主義制度に従って、香港が急激に変化することは決してない」という約束です。この発言の目的は民心を安定させるためです。誰もがわかっていることですが、「50年間変わらない」というのは理想的な言い方であり、ひとつの都会が50年間変わらないということは不可能です。そもそも、全く変わらないことがいいというわけでもありません。どのように変わるのか、何が変わったらいいのか、何が変わったらいけないのか。それらの問題こそ、我々が考えるべき問題なのです。それらの問題に影響する要素は、政治的なものから個人的なものまで様々なものが含まれています。我々はひたすら未来を待ち望むより、目前の2047年に直面することこそが大事なのではないでしょうか。王家衛監督は『2046』という映画を通して、どのように目下の現実に直面するのかという問題も提起しています。ご静聴どうもありがとうございました。


■ 質疑応答

観客1(日本語):王家衛映画に出てくる主人公たちは、みんな職業にあまり力を入れていないというか、すぐに転職したり、仕事に重きを置いていない人たちがよく出てくると思います。それは現在の香港では普通のことなのでしょうか。

梁秉鈞(広東語):私も日本に来て、日本の方の住所がずっと変わらないことに気づきました。香港では、引越ししたり仕事を変えたりすることは、日本より多いかもしれません。王家衛監督本人が映画を撮るときも、ある映画を撮り始めて、やめて、別の映画を撮り始めたりすることがあります。それも彼の仕事のスタイルのひとつかもしれません。

観客2(日本語):王家衛監督は、60年代の香港を題材にした作品をたくさん撮っていると思うんですが、王家衛監督にとって60年代の香港とはどういうもので、なぜ60年代の香港を題材にしているのかということを教えていただければと思います。

梁秉鈞:これは二つの面から考えられます。まず、王家衛は50年代、5歳のときに香港に来ました。60年代は、彼が青少年となって成長した年代であり、最初に香港に対する印象や香港独特の文化を感じた年代です。もうひとつは、香港の歴史の面からいいますと、講演の中でも話したように、香港の60年代は様々なものが共存し、非常に曖昧で、人の心が抑圧されていた年代でした。1967年に香港で大きな暴動が起こりましたが、実はその前とそれ以降とで、香港は大きく変わったのです。暴動以降、イギリスの植民地統治も、香港のローカルな文化を尊重し、教育にも力を入れるようになりました。香港と中国大陸の差も、60年代前後からだんだん激しくなってきました。みなさんもご存じのように、中国大陸では1966年に文化大革命が起こりました。様々な面からいって、60年代は香港の歴史における大きなターニング・ポイントです。

観客3(日本語):「返還」というのが正しいかどうかわかりませんが、1997年に中国に返還されたと私たちは聞いています。イギリスの植民地だったときの香港には、文化や思想の自由があったと思いますが、その時代と比べて2000年を過ぎた今、文化や芸術や映画などの自由さの度合いは、2046のように変わらないでいると受け止めていらっしゃるでしょうか。

梁秉鈞:たしかに、返還する前は多くの人が香港は言論の自由を失うのではないかと心配していましたが、今になってみると、実際にはそのようなことは起こっていないといえます。しかし、やはり経済や政治など様々な面で、必然的に中国大陸から影響を受けています。ただし、講演の中でも話したように、2046のように何も変わらないということにこだわるより、どのように変わるのか、その変わっている現実にどのように直面するのか、それこそが大事なのではないかと考えています。

観客4(日本語):起用される俳優が偏っていると思うのですが、その中でもなぜ梁朝偉なのか、なぜ張國榮なのかということを、本当は王家衛自身に聞きたいところなんですが、先生はなぜ梁朝偉なのか、なぜ張國榮なのかということをどのように考えていらっしゃるかをお聞きしたいと思います。

梁秉鈞:決まった俳優を何人か使いますが、一方で新しい俳優を取り入れてもいます。たとえば『2046』では、タイから来た俳優や日本の木村拓哉なども使っています。王家衛映画の中で描かれている男性には、だいたい二通りのパターンがあります。ひとつは張國榮が演じたような反逆児、すなわち荒々しくていつもあっちへ行ったりこっちへ行ったりしているような人です。もうひとつは、たとえば劉徳華が演じた警官のように、比較的おとなしい人です。梁朝偉という俳優は、これらの両面、すなわち反逆児としての性格とおとなしい性格とを両方とも備えています。彼の役は、かつての張國榮を引き継いでいる部分もあるのではないかと思います。
◆王家衛監督と俳優との関係は、loveであると同時にhateでもあります。なぜなら、彼の映画に出るとたくさんの賞を獲れる可能性があると同時に、製作期間がとても長くてその間ほかのことが何もできません。それに関しておもしろいエピソードが二つあります。ひとつは、『ブエノスアイレス』の中にこういう台詞がありますね。「私たち最初からやり直しましょう。」「どうして私を行かせてくれないの? もう半年経ったから、パスポートを返してください。私は帰りたいんです。」二人の主人公の男性が、このような台詞を繰り返し言いますね。これは実は俳優の監督に対する本音なんです。監督はいつも「最初からやり直しましょう」と言い、俳優たちは「私はもう帰りたいです。パスポートを下さい」と言う。そういう出来事がありました。もうひとつは『2046』を撮ったとき、あまりにも長過ぎるので、梁朝偉が「監督、もう来ないで」という感じで自分の髭を自分で半分剃ったんです。剃ったらもう監督は来ないと思ったのですが、王家衛はそれでも引き続き彼を探して「出てください」と言いました。これから上映がありますから言いませんが、何とかしてやっぱり彼に出演してもらったというエピソードがあります。

1]最優秀助演女優賞は劉玉翠(“廟街皇后”)で、劉嘉玲は受賞していない。
2]通訳が飛ばしてしまったのか、ここは話がつながっていなかった。王家衛の脚本家時代から交流のあった二人の監督、といったような話だろうか。
3]正しくは最優秀監督賞。
4]正しくはシンガポール。

映画人は語る
電影萬歳ホームページ
Copyright © 2005 by OKA Mamiko. All rights reserved.
作成日:2005年3月14日(月)