TOKYO FILMeX 2004

『終わらない物語』Q&A

開催日 2004年11月23日(火)
会場 有楽町朝日ホール
ゲスト Hassan Yektapanah(監督)
司会 林加奈子
ペルシャ語-日本語通訳・英語-日本語通訳 Shohreh Golparian


司会(日本語):まず、監督からひと言いただけますでしょうか。

Hassan Yektapanah(ペルシャ語):お時間をとって観ていただき、本当にありがとうございます。FILMeXの映画祭にも感謝しています。

観客1(日本語):緊迫感を感じる映画だったんですけれども、国境を越えて、これから難民になろうとしている人の背景をお聞きしたいです。迫害されているというのではなく、負債を抱えて国を出たいといった経済難民的な人も含まれていたと思うんですが。それから、最後にイランの文化省の名前があったんですが、こういったトピックを扱うに際して、政府の助成というか承認を得ているということだと思うんですが、そういったことも教えてください。

Hassan Yektapanah:いい質問です。こういうタイプの商業的な映画は以前にも作られていますので、国外へ逃げるという問題をあえて大きく扱おうとは考えませんでした。難民というのではなく、お互いに文化を学んだり、知識を交換したり、そういう形の移民であればいいと思っていましたが、残念ながら今の世の中では、様々な問題を抱えてほかの国に移民する人が多いです。たとえば経済的な問題や政治的な問題ですね。個人的には、地球が同じ旗のひとつの国になって、みんなが仲良く暮らしていくことを望んでいます。
◆撮影許可ももらっていましたし、公開の許可ももらっています。難しい問題ですが、できるだけ冗談をまじえてやわらかく批判しようと思っていたので、当局も問題と感じなかったと思います。日本にも仮面をかぶって演じる伝統的な芝居がありますが、イランの伝統的な芝居にも、仮面はかぶらないですが顔を黒くして、冗談をまじえて批判をするようなものがあります。

観客2(日本語):今の方の質問と一部重なるかもしれませんけれども、クレジットにKiarostami監督の名前が出てきました。フィクションとドキュメンタリーということで、作風もちょっと重なるように感じられたんですけれども、具体的にどのような関わりがあったのでしょうか。

Hassan Yektapanah:私はKiarostami監督の助監督をしたことがあって、非常に影響を受けています。彼の映画を信じています。実は、この映画を撮影する前に彼に相談をしましたが、作らないほうがいいんじゃないかと言われました。彼は父親のような気持ちでアドヴァイスしてくれたんだと思います。もっと資金をたくさん集めてもう少し商業的な映画を作って、彼が歩いてきたのと同じような道を歩かないようにという思いから、そのように言ったのだと思います。

司会:この作品は、Yektapanah監督にとって長編二作目になりますけれども、実は第1回TOKYO FILMeXで長編一作目の『ジョメー』を紹介させていただいております。『ジョメー』もご覧になっていらっしゃる方、ちょっと手を挙げてみていただけますか《挙手多数》。わぁ、さすがFILMeX。ありがとうございます。私の印象だと、『ジョメー』はかなりリアリスティックということにこだわった印象があります。静かですごく孤独な人々の生活を浮き彫りにして、淡い恋を描いていたと記憶しているんですけれども、今回の『終わらない物語』は、『ジョメー』とは全く違ったアプローチをしていらっしゃいます。深刻で切実な話なんですけれど、それでいてユーモアが感じられたり、いい意味ですごく驚かせていただきました。今までのものをフォローしていかず、全然違うことをやってみようとした二作めへの意気込みについて教えてください。意図的にそのように作られたんでしょうか。

Hassan Yektapanah:映画作りにおいて、監督が同じことを繰り返すのはあまりよくないと思います。違う形の仕事をどんどん経験するべきだと思います。マジシャンのように、映画を観る前に「彼だったらこういう映画を作るんじゃないかな」と観客に思わせないようにすべきだと思います。それでいて、その監督の作品をまとめて観れば、その監督ならではのものを感じさせるような映画づくりをしたほうがいいと思います。

観客3(日本語):私もキャメラマンをやっておりますので、ヴィデオの小さなカメラを渡されたときのあのキャメラマンのとまどいが非常にすてきだなと思ったのと、ラストで自分も同じことをやって撃たれてしまうのではないかと思いました。すばらしい映画だと思います。質問なんですけれども、あえて35ミリのフィルムだけで全部の映像を通していますが、私は、キャメラマンがヴィデオで撮っている絵をヴィデオで撮ればよかったかなと思いました。自分がもし監督と一緒にやったら、そのように提案したんじゃないかと思うんです。あえてそれを全部通した意図というか理由というかをお聞かせいただきたいと思います。

Hassan Yektapanah:ありがとうございます。キャメラマンの驚きとか、最後に撃たれてるシーンについて言われたんですけれども、商業的な映画を作らずに、苦労して苦労してドキュメンタリー映画を撮って死んでしまうみたいなのを表現したかったんです。自分の仕事を信じてやっている芸術家は、自分の仕事のためには死ぬことも簡単にできると思います。
◆質問についてですが、いろいろな映画の中で、ヴィデオ・カメラを回しているときにその映像もヴィデオ・カメラで撮ったり、すでにいろいろな人がいろいろなテクニックを試しています。35ミリのキャメラで撮っていたんですが、そのようなことも考えていて、あとでヴィデオのようにしてみたりもしました。けれども少し考えてみたら、35ミリで撮ったすばらしい映像を、なぜわざわざ壊してそこまでしなければいけないのか疑問に思ったんですね。なぜなら、観ている側は、ヴィデオ・カメラで撮っている映像と、私たちが撮っている映像とを区別できるんです。

観客4(英語):フィクションで国の状況を描くことも可能だと思いますが、これからこの状況をドキュメンタリーで作るつもりはありますか。

Hassan Yektapanah:ドキュメンタリーだと幅広くリリースするのが困難です。フィクションにしたほうがいろんな人に観てもらえると思います。ですから、ドキュメンタリーのテーマをフィクションで撮っていますが、素人の役者を使ったり、キャメラの動きや撮り方をドキュメンタリーに近づけています。

観客4:今後、イランとかイラクの状況についてのドキュメンタリーを作りますか。

Hassan Yektapanah:作りません。

観客5(日本語):おもしろい映画をありがとうございました。山岳地での撮影風景が非常に多かったと思うんですけれども、観ている側からすればただ走っている、怒鳴る、喧嘩する、いろいろなシーンを観ているだけなんですが、非常に精神力とか体力を必要とする作業が多かったと思います。何かおもしろいエピソードがありましたらお聞かせください。

Hassan Yektapanah:とても暑い時期で、ほとんど山の上や丘の上での撮影でした。ほとんどのところは車が使えず、みんな歩いて登ったりしました。本当は、クルディスタンやパキスタンの国境を使ってリアルな場所で撮りたかったんですが、資金集めがうまくいかず、お金が足りなくて不可能になりました。それで実は、テヘランの家の近くの山を使って、国境の状況を作っています。でも、幸い誰もそれに気づかず、イラン人もみんな国境だと思って観ていました。

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作成日:2004年11月24日(水)