TOKYO FILMeX 2004
■■■『雲の南へ』Q&A
開催日 ● 2004年11月21日(日) 会場 ● 有楽町朝日ホール ゲスト ● 朱文(監督) 司会 ● 林加奈子 北京語-日本語通訳 ● 秋山珠子
- ■司会(日本語):さっそくですけど監督からひと言、みなさまにご挨拶いただけますでしょうか。
- ◆朱文(北京語):Q&Aの前に、私の友人を紹介させていただきたいと思います。この作品の撮影監督である王敏です。今日、ここ東京で『雲の南へ』を上映できることは、彼にとっても非常に喜ばしいことだと思います。というのは、彼は東京で映画を学んだからです。彼は日本にいる間、昼間大学で学ぶかたわら、夜は銀座でバイトをして過ごしていました。銀座附近を歩いていたとき、かつて彼が働いていた場所を紹介してくれたんですが、そこは今はもうなくなっています。
- ◆司会:王敏さん、ようこそいらっしゃいました。ありがとうございます。今年は中国からの作品は1本ですけれども、この作品を上映させていただけることを本当に光栄に思っております。王敏さんの、ちょっと距離を置いてお父さんを見つめている視線での撮影は、とても印象的でした。
- ■観客1(日本語):上海映画祭のときこの作品のダイジェストを見て、ぜひ観たいと思ってここに来ました。新人監督部門に出品した『犬と歩けば』という作品のスタッフで、アルゴ・ピクチャーズの熊谷と申します。一度お会いしていると思います。質問なんですが、中国は一人っ子政策だと日本では聞いているんですが、この作品では家族がたくさん出てきますよね。それがひとつ。もうひとつ、フィットネスというか、太った人たちが体操しているところがあります。中国の人たちは痩せているイメージがありますが、それも今の中国の変わり方なんでしょうか。
- ◆朱文:最初のご質問は、まさにこの作品創作の原点に関わるものです。ご覧になっておわかりのように、この作品は家族というものに焦点をあてていますが、それは日本にも共通する問題だと思います。日本にも中国にも、伝統的な家族概念、家概念というものがあると思いますが、私がもっと若いときには、それに対して非常に反発をおぼえていました。父母の世代に対しても、彼らの価値観を全く受け入れられない、それどころかそれに猛反発して否定するようなことをしてきました。しかし、私たちの両親の世代というのは非常に悲劇的な世代なんです。というのは、彼らが若いときには、中国の政策などによって非常に苦しい時代をおくらざるを得なかったからです。そういうわけで、私は次第にこういう世代の苦しみに理解を示すようになってきました。この作品を通して、私の彼らに対する理解を示したかったし、彼らが異常な時代に生きながらも自分の力で耐え忍んできたということに対して、オマージュを捧げたかったのです。
- ◆二番目のご質問、フィットネスについてなんですが、全世界の女性がダイエットに興味をもっており、それは中国でも同様です。
- ■観客2(日本語):すばらしい映画で、とてもあたたかい気持ちにさせていただきました。質問なんですが、この映画の舞台になった雲南は、映画で観ると、雲南の景色とかそちらの地方の伝統とか、そんなにたくさんなかったと思うんですね。雲南にこだわるという感じではなく、遠く隔たった二つの場所で語られればいいのかなとも思うんですけれども、監督がなぜ雲南という場所にこだわったのかお聞きしたいと思います。
- ◆朱文:まず、北と南とは違うというのがあります。そこで北方に対して南方の都市を選ぼうということになります。雲南というのは南方の街のひとつですが、私は作家の出身で、作家にとって雲の南と書く雲南、この言葉には非常にイメージをかきたてられます。この雲南という言葉には、南の方であるという地理的な概念と同時に、とても遠く離れた、彼岸といいますか、現実とは隔たった場所というイメージがあります。そういうイメージが、この作品全体のモチーフと重なると思います。
- ■観客3(日本語):私は朱文さんとお会いするのは初めてなんですけれども、小説をずっと読ませていただき、翻訳もさせていただきました。質問なんですけれども、朱文さんが小説家から映画監督に転向されたその理由をお伺いしたいと思います。小説では描ききれないものを映画で描こうとしていらっしゃるのか。今日の映画を拝見して、朱文さんの小説に描かれていたものと共通するところを感じました。ですから、小説のテーマと映画のテーマがつながるのかどうか、そのあたりをぜひお聞きしたいと思います。
- ◆朱文:こんなところでお目にかかれてたいへん嬉しいです。お手紙のやりとりはしておりましたが、実際にお目にかかるのは初めてです。以前、私の作品を訳していただきまして本当にありがとうございます。
- ◆転職といいますか、作家から監督になったことについては、非常に簡単な理由があります。私はすでに6冊の本を出しており、作家として中堅どころの位置にいると思います。その私が映画監督に転身したのは、原点に帰りたかったからです。創作の初期の要求を取り戻したい、初期の創作に携わった感じをもう一度体験したい、初めての詩を書いたときのような、新しいことをするという気持ちに戻りたいということです。私はただ、最終的に何かを創作したいという欲望に貫かれており、その方法にはこだわっていません。それが言語によるものなのか、映像によるものなのかといった形にはこだわっていないので、今後また作家でやりたいとか、監督一本でやりたいとか、そういうことは考えていません。とにかく創作をしたいのです。
- ■司会:この作品は、今年世界を巡りまわった中国映画の1本だと思うんですけれども、中国で公開はもうされていらっしゃるのでしょうか。もしされているのでしたら、反応などはいかがでしたでしょうか。教えていただけますでしょうか。
- ◆朱文:まだ正式な公開はされていません。ただ上海で一度だけ上映したことがあります。
- ■司会:田壮壮という有名な監督も出ていらっしゃって、みなさんもよくご存じの『青い凧』を撮られた監督ですが、キャスティングもとてもすばらしく、田壮壮さんのとてもすばらしい演技も堪能させていただきました。主人公の方も有名な方ですけれども、キャスティングはどういうふうにされたのでしょうか。監督のほうで特に工夫されたり、意図的な配置のしかたなどがあったら教えていただけますか。
- ◆朱文:まず主演の李雪健という人なんですが、彼は中国でも、一般の観客から非常に人気のある俳優です。そして私個人も非常に好きな俳優なんです。彼の中には非常に中国的な資質が濃厚にあると思うからです。ただ、準備期間にキャスティングを考えたときには、彼を使おうというアイデアはありませんでした。そのとき李雪健は癌を患っていたからです。ただその後癌が完治したので、彼が候補に上がってきました。彼がもう演技ができるくらいに治ってきたという情報を私に教えてくれたのは田壮壮でした。私の考えているキャラクターと李雪健のイメージとは非常に重なるものだったし、彼がちょうどそのタイミングで病気を克服されたということで、私はそのニュースを聞いて非常に喜びました。こうして李雪健が主演に選ばれたわけです。
- ◆それに比べると、田壮壮が選ばれた理由はもっと単純です。今回彼はプロデューサーとしても製作に関わっているので、彼に演じてもらえば、その分の役者の費用を負担しなくて済むからです。
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