TOKYO FILMeX 2003

『香火』Q&A

開催日 2003年11月29日(土)
場所 有楽町朝日ホール
ゲスト 寧浩(監督)
司会 林加奈子
北京語-日本語通訳 樋口裕子


司会(日本語):まず監督からひと言いただけますでしょうか。
寧浩(北京語):北京電影學院出身の寧浩です。今回東京に来られて本当に嬉しいです。

司会:電影學院のご出身ということで、これは卒業制作の作品というふうにお伺いしているんですけれども、寧浩監督のそれまでの仕事の道筋とか、これまでに何か手伝っていらしたり関わっていらしたりとか、どういう形でこの『香火』を作るまでに至ったのかということを教えていただけますでしょうか。
寧浩:僕は1992年に山西電影學校に入り、そこで美術を勉強しました。その後1997年に北京師範大學に入り、そこで番組制作、つまり監督の勉強をした後、2001年に北京電影學院に入り、撮影科で撮影を学びました。この作品は卒業制作として企画され、2003年の春節すなわちお正月の1日から15日の元宵節までの期間で撮影されたもので、ロケ地は僕の故郷である山西省です。

観客1(日本語):今回はフィルムではなくてヴィデオでの撮影で、今回の上映もヴィデオだったと思うんですけれども、その上映形式についてお聞きしたいと思います。また、フィルムを使っていない撮影ということで、特に抵抗はなかったんでしょうか。それから、監督にとって映画の定義は何なのでしょうか。ヴィデオで撮った場合、見た目は例えばドラマなどと同じなんですけれども、ドラマとは違って映画なんだという、監督にとって映画とは何かということをお聞きしたいと思います。
寧浩:この問題は中国国内でも今話題なんですが、DVの出現によって映画の撮影方法が大きく変わってきました。フィルムを使うことは若い学生の監督にとっては難しく、資金面でも大変です。僕はかつてDVで短篇も撮っていますが、DVというのは、映画を製作する若者にとって非常に便利な道具であると言えます。フィルムでなければ映画とは言えないのかというと、そうでもないと思います。映画製作そのものが開放的な方向に向かっていっていいのではないかと考えています。

観客2(日本語):ディジタルかフィルムかということに関してなんですけれども、実際に撮影をされていて、監督自身がフィルムよりも優れているとお考えになるところはどういうところかをお聞かせください。
寧浩:DVが非常に優れていると思うのは、フィルムより便利だということです。小さくて軽いので扱いやすく、また光線もあまり考えなくて済むので、ライティングを考慮するという点でも非常に扱いやすいです。また、いつでもどこでも気軽に撮れて、あまり人に注意をされたりじろじろ見られたりしないで撮影できるという点も、DVの非常に優れた点だと思います。ただし欠点もあります。そういう小さくて軽くて便利なものを使ってしまうと、製作者としての意識がかなり影響を受けてくると思います。特に撮影の時間の問題ですが、きちんと計画的に撮るのではなく、ひたすら撮り続けてしまうというようなことも出てきます。

観客3(日本語):監督は在学中よりミュージック・プロモーション・ヴィデオを撮影したり、最近ではトヨタ自動車のコマーシャルを撮影したり、テレヴィ・ドラマを作ったりされているそうですけれど、一番好きな仕事は何ですか。それから、今後力を入れていきたい仕事はどんな仕事でしょうか。
寧浩:僕が一番好きなのは映画です。MTVやコマーシャル・フィルムは生活のためにやっているものです。僕は、そういうところでお金を稼いで映画を撮ると決めています。

観客4(日本語):僧侶のあり方が、今の中国の経済の変化を体現しているようでとても興味深かったのですが、この僧侶の方は普段は何をしている方なんでしょうか。それから、今は北京にお住まいだと思うんですが、あえて自分の故郷あるいはこういう地方都市を題材に、このテーマで撮りたいと思った理由は何でしょうか。
寧浩:先ほど中国の経済状況を反映していると言ってくださいましたけれども、部分的にはそうかもしれませんが、全面的ではないと思います。僕がこの作品で撮ったのは非常に貧しい地域で、上海のような発達している地域であれば、また全く異なる経済状況の反映が見られると思います。
◆ひとつめのご質問ですが、この僧侶を演じたのは僕の同級生です。今は小学校の職員として働いているんですが、彼が学んだのは映画でした。しかし、その映画は実際の彼の仕事には生かせていません。彼の生活水準はとても低くて貧しいです。そういう彼の状況が、この役柄に非常にふさわしいと思い、彼に頼んでキャスティングしました。彼はとてもうまくこの役柄を演じてくれました。
◆ふたつめのご質問で、どうして山西省、地方都市を舞台に撮ったのかということなんですが、僕がそこを一番よく知っているからというのが一番ふさわしい答えかと思います。僕は20年間くらいそこに住んでいましたので、山西省の土地、そして人を一番よく理解しているわけです。この作品に出てくれた人たちは、ほとんどが僕の同級生、あるいはそこで知り合った人たちです。やっぱり僕は山西省という土地がとても好きです。

観客5(日本語):先ほど僧侶のお話が出たんですけれども、以前監督の短篇を拝見させていただきまして、すごく味のある人がたくさん出てきました。監督の中でキャスティングにこだわる部分というのはありますでしょうか。
寧浩:これまで僕がキャスティングしたのは、全部僕の身の回りのよく知っている人たちです。彼らの長所も短所もすべて知っていたし、性格も非常によくわかっていました。僕はその段階でもう、彼らがどういう役を演じられるかをよく知っていたわけですね。ですから非常にキャスティングがしやすいです。その人はその人自身しか演じられないと思いますので、知らない人の場合は、まずその人を知るというところから始めました。
司会:僧侶役の方は本当にすばらしかったと思います。

観客6(日本語):私はこの映画を観て、仏教とか僧侶とか、ある意味で神聖視されているものが、お金とか権力とか欲望といった象徴によって崩壊していくように思ったんですが、卒業制作の映画としてなぜこのような題材を選んだのでしょうか。それから、この“香火”というタイトルはどういう由来でつけられたのかお聞かせください。
寧浩:撮るときにはそのようなテーマというのは考えませんでした。どうしてこのような題材を選んだかといいますと、小さい頃の友だちに一人出家した人がいまして、その出家したという彼の行為が非常におもしろいことだと思いました。出家することも、僧侶になるということも、ひとつの職業であるわけですから、非常におもしろいことだと思ったのが始まりです。先ほどおっしゃったように、社会を反映して、神聖なものが権力のためにだんだんと崩壊していくようなこともあるわけです。ただ僕はこの作品を撮るときに、そういう歴史的な使命感というようなものは全く意識しませんでした。ただこういうことが非常に興味深いと思ったからこの作品にしました。
◆ふたつめのご質問の“香火”という題名の意味なんですが、直接には寺廟の収入を意味します。また、絶え間なく手向けられる線香の火を意味しています。その火が絶え間なく続いていくということで、文化が伝統的にずっと続いていくと、線香が絶え間なく灯されていくという意味が出てきます。
◆ふたつめの意味としては、線香の煙という柔らかいものの中に、非常にしぶとく、容易には壊れない生命力があるということです。それが中国人の非常に力強い生命力だと思いますが、そういう目に見えない柔らかいものの中に内包されている生命力、それが“香火”という言葉の中にあるのです。


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作成日:2003年12月3日(水)