TOKYO FILMeX 2002

『青の稲妻』Q&A

開催日 2002年12月2日(月)
場所 有楽町朝日ホール
ゲスト 賈樟柯(監督)
司会 市山尚三
北京語-日本語通訳 小坂史子


■司会(日本語):最初に、簡単に一言ご挨拶をお願いします。
◆賈樟柯(北京語):皆さん、こんにちは。賈樟柯です。去年撮った作品です。

■観客1(日本語):今回の作品もなかなか社会性を捉えた作品で興味深かったのですけど、監督自身が役者を演じていたのは初めてなんですけど、このへんのいきさつというか、今回なぜご自身が役者を演じたかったか、何か特別な理由があれば教えてください。
◆賈樟柯:たしかに、この作品の頭のところの、ちょっとイカレた男の人が歌を歌っているのは僕自身です。僕がなんであそこであの役をしたかといいますと、伝統的な中国の小説みたいに、序文にあたる部分、この作品に入ってくる最初の引き出しのところを自分がつけてみたいと思いました。
◆司会:実を言うと全部出てるんですよ。多分気がつかないように出ていて、今回が一番目立ったんだと思いますけど。

■観客1:大同は石炭の街で、山西省でも有数の街ですけど、そのへんの場所を選んだ理由も教えてください。
◆賈樟柯:大同は僕の故郷と同じ山西省にあるんですが、実はドキュメンタリーを撮りに行くまで、僕は大同に行ったことがありませんでした。ドキュメンタリーを撮りに行ったときに、非常にこの街の虜になりました。それが大同で撮影をした理由です。ひとつには、僕が育った汾陽という町は、同じ山西省でもどちらかというと背景に農業色が強い町で、しかも中原文化といいますか、中国の中心、漢民族のいかにも中国という場所です。ところが大同へ行きますと、中国の沈從文という小説家が書いているような世界、ちょっと辺境の地に来てしまったなという雰囲気があります。それはおそらく、大同が地理的に内モンゴルに近い端境にあるせいだと思います。それ以外に、おっしゃったとおりあそこは石炭業の街だったんですが、資源が枯渇したことにより街自体が次第に寂れてきています。その分失業者がすごく増えたりして、そういったものが醸し出す呆然とした雰囲気が僕の心をすごく打ったし、またちょっと切ないようなものをもたらしたというのが撮影をしたきっかけだと思います。

■観客2(北京語):タイトルクレジットにあるように、オフィス北野が投資していて、それは北野武監督のオフィスであると思われますが、賈樟柯自身は北野監督をどう思っていらっしゃいますか。
◆賈樟柯:僕が北野監督の作品を初めて観たのは大学2年生のときで、『あの夏、いちばん静かな海。』です。その頃はまだ情報のたくさんあるときではなく、北野作品を観て非常に印象に残ったのを憶えています。それから以降、だんだんと北野作品を観る機会を得まして、つい最近、新作の『Dolls』も見せてもらい、非常によかったです。僕が北野作品を観て思うことは、表面には出てこないとても繊細で敏感なものを毎回毎回発見できるということです。例えば新作では、伝統文化が今の若い人の青春の話に結びついている。いかにしてそれを融和させていくかというのはとても大事なことだと思うし、自分を非常に感激させてくれるというか興奮させてくれるものがありました。そういう形で、自分の作品の、しかも現代の青春物語の中に、民族的な情感や思い入れを入れていくのも非常に大切だと感じました。

■観客2:この作品には、任賢齊という台湾の歌手の歌のタイトルがそのまま原題に使われていて、その歌がテーマとして繰り返し歌われています。『プラットホーム』にもいろんな映画や流行歌が出てきていて、香港の呉宇森監督の映画も出てきますが、監督は、香港や台湾のサブカルチャーが中国に対してどういう影響を与えたと思われますか。
◆賈樟柯:ご指摘のとおり、僕の三作すべての中に、流行歌など、香港や台湾の文化や芸能が入っています。今おっしゃった呉宇森監督の作品も、『一瞬の夢』にも使っていますし、『プラットホーム』にも断片で出てきます。おそらくそれは自分が成長する過程と関係があると思います。僕が大人になるときに中国の文化大革命が終わって、もともとあまり中国にはサブカルチャーがなかったんですが、その頃からだんだん流行歌などが中国に入ってきた、そういう時期に僕は青春を過ごしました。長くて孤独に思える青春の時期に共にあった流行歌などの文化を自分の心の中から断ち切ることができないので、いつも自分の映画の中に登場するんだと思います。
◆もうひとつ僕が思うのは、毎年中国でいろんな歌が流行する中で、一曲二曲、「この年にこれが流行るのはわかるな」という、中国で暮らす人々の気持ちを反映するような曲があるように思います。今回僕が使った任賢齊の“任逍遥”という曲は、偶然見つけたというか使用することになりました。ある日新聞に、東北のどこかの省の若い男の子二人が銀行強盗に入ったという記事が出ていました。その男の子たちのひとりが、“任逍遥”の歌詞を母親に書き残して出てきたというのを見て、非常に強い印象を受けました。「この若者は、流行歌の歌詞に託して自分の気持ちを母親のもとに置いて銀行強盗に行ったんだな」というところから、もう一度あらためてこの曲を聞き直すきっかけを得ました。調べてみて奇妙に思ったことは、この“任逍遥”の歌自体は、広州、上海、北京といった大都市ではあまり受けなくて、むしろ大同とか僕の田舎の汾陽とか、そういう小さな町において非常に若者に支持を得たということです。歌詞の中に「英雄はその出身を問わず」という、おそらく「英雄になるのには境遇とか出身とかそういう背景は関係ないんだよ」という意味の歌詞があって、すごくそれに納得できました。僕自身も小さな町で育って田舎から出てきた、小さな町の出身者ですから、そういった気持ちに共感できるというのは非常によくわかります。今の中国は、加速して発展している途上で、ある意味で地域差が非常に広がってきて、貧富の差も非常に広がっています。そんな中で、人々の気持ちを反映できる、共感を呼ぶ歌詞だったんじゃないかと思います。

■観客3:主人公がVCDを売ってまして、その中に、監督の前の二作と、撮影をやった余力爲さんの作品が置いてないのは若者受けしない、というようなのがあったんですが、実際に監督とか余力爲さんの作品は中国の若者にどのくらい観られているのか、そしてどのように受け入れられているのか、そのへんを教えていただければと思います。
◆賈樟柯:私が今回東京へお邪魔する3日前に、『プラットホーム』の海賊版が北京に出回ったばかりです。僕は呆然とした心境でいます。実は、いつも行っているお店に行ったら、「賈樟柯の『プラットホーム』入ってるけど買わない?」と言われました。自分の子供がよそのおうちにお邪魔しているような印象を受けています。おそらく僕だけではなくて、いわゆる知識分子というか一応ものをちゃんと考えられる人にとって、海賊版の現象というのは非常にもどかしく、複雑な心境だと思います。というのは、映画に関してはそんなに自由に観られるという状況ではない中で、海賊版があったからこそ自分たちが観たいものを観ることができるという恩恵も被っていますが、とりあえずは非合法なことなわけで、気持ちとしては居心地の悪さをもっています。この海賊版が出回ってから、インターネットで自分の映画についての討論を見たりすると、非常に複雑な気分です。


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作成日:2002年12月6日(金)