SARSの季節/口罩時光
epilogue
台灣のその後のSARS流行状況を、WHOの動きからまとめてみる。
要約すれば、状況はさらに悪化したが、5月下旬をピークに感染者が減り始め、7月はじめに一応制圧された、ということになる。台灣は、最初の患者が見つかってから1ヶ月以上感染の拡大を抑えていながら、突然感染が拡大して重度流行地域に指定されるまでになり、一番最後まで制圧されないという、特異な経過をたどった。
- 5月8日:台北市に渡航延期勧告
- 5月9日:台北市を重度流行地域に指定
- 5月21日:台灣全土を重度流行地域に指定、台灣全土に渡航延期勧告
- 6月13日:中度流行地域に変更
- 6月17日:渡航延期勧告を解除
- 7月5日:流行地域指定を解除
私たちは、幸い発症することなく5月16日を迎えた。感染の可能性は極めて低かったにもかかわらず、恐怖と不安が消えない、長い10日間だった。発症すること自体も怖かったが、何より、他人にうつしてしまうかもしれないことが怖かった。もしも私が日本第一号患者になり、感染を拡大させれば、「SARS流行地域に遊びに行って日本にSARSを広めた、自分勝手で迷惑千万な、憎むべき悪者」として、メディアが好き勝手に報道するであろうことは目に見えていたからだ。
その予想が正しかったことは、その後のいわゆる「台湾人医師問題」[注1]によって証明された。この事件に対するメディアの対応や世間の反応には、いろいろと釈然としないところが多かった。その幾つかについて述べる。
第一に、何が非難されたのかという点である。国外に出たこと、もっとはっきり言えば日本に来たことが非難されていたように、私には思われた。しかし、もし問題があったとすれば、感染の可能性があるにもかかわらず、自由な行動ができた点ではないだろうか。自由な行動が許されている限り、海外旅行に行かなくても、感染を拡大させる可能性は同じである。にもかかわらず、日本に来ること、すなわち、自分たちがうつされるかもしれないことのみが問題とされたのである。
第二に、非難のされ方である。非難は「医師としてのモラルに欠ける」という点に集中していた。そのこと自体はたしかにそうかもしれないが、ふたつの点が気にかかる。ひとつは、医師であることの別の面、すなわち「日々、生命の危険に直面している」という点がすっかり抜け落ちていることである。非難している人たちは、安全な日本にいて、自分の生命の安全を前提に、「旅行なんて、SARSが制圧されてから行けばいいじゃないか」と思っている。しかし、流行地域の医師は、明日の生命の保証もない。殉職したあとで、家族に莫大な補償金が払われようが、美談の主人公になろうが、忠烈祠に祀られようが、そんなことはちっとも嬉しくない。生きているうちに日本旅行に行くほうが楽しいに決まっている。
もうひとつ気になるのは、難しい問題を提起しようとせず、安易な個人攻撃に走るという態度である。上述したように、この問題を突き詰めれば、医師の隔離や休暇をどうすべきかとか、流行地域から非流行地域への人の移動をどうすべきかとかといった問題に行き当たる。そういった問題は、国、国家間、あるいは世界規模で考えなければならないものだし、簡単に答えが出るものでもない。しかし、問題を提起すること、少しずつでも答えを模索することのほうが、個人の非を攻撃することよりもよほど有意義ではないだろうか。
第三に、メディアの報道内容である。医師の詳細な行動が発表されたのは、接触した人や感染の可能性のある人を至急見つけることが目的だったはずである。したがって、どういう接触が問題になり得るのか、どのような症状が出たら感染の疑いがあるのかといったことについての、より具体的な情報の提供も、同時に必要だったと思う。それがなかったために、不要なパニックをひき起こし、関連する施設に必要以上の経済的打撃を与えることになった。また、多くの人々が、その必要がないにもかかわらず旅行をキャンセルするという事態にも、暗澹たる気持ちになった。たしかに、近寄らないのが最も安全かもしれないが、多くの場合、本当にそうする必要があるのかを検討したわけではない、安易な対応であったように思われる。そういった態度は、感染者や感染地域の人々に対する偏見や差別に、容易につながってしまう。どこまでが予防でどこからが差別なのか、その境界は限りなく曖昧である。
結局のところ、興味本位に台湾人医師の行動を追い、「安全な日本」にウィルスを持ち込むかもしれない人々への嫌悪感を露にし、正しい知識を獲得しないまま不要なパニック状態に自ら陥った挙句、安全宣言が出されるとさっさと関心を失って忘れ去った、というのが日本社会の反応であった。ほんのちょっと当事者の立場に立ってみたとき、容易に想像されるであろう様々な問題や疑問は、ほとんど提起も議論もされなかった。SARSはひとまず制圧されたが、次の流行の噂は、すでに囁かれ始めている。それを制することができるかどうかは、今回の流行からいかに多くを学んだかにかかっている。日本はかなり危ない、と私は思う。
今回のSARS騒動から、連想せざるを得ない一本の映画がある。蔡明亮の『Hole(洞)』[C1998-28]である。香港における集合住宅での感染と隔離や、下水による感染拡大は、蔡明亮はSARSを予言してしまったのだと思わせた。台北では、この映画の舞台となった西寧國宅でも患者が発生したらしい。葛蘭グレース・チャンの歌声は、世界をSARSからも救ってくれるのだろうか。SARSの季節がひとつ終わった。次の季節がいつ始まるのか、それはまだ、誰も知らない。
完
- [1]台灣人医師問題
- 台灣人医師が日本を旅行中に発熱したが、そのまま旅行を続け、帰国後にSARSであることが確認された、という事件。
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作成日:2003年7月15日(火)
更新日:2004年5月30日(日)