《大連》
ヤマトホテル |
そのうち広い部屋がようやく暗くなりかけた。じゃどこぞ宿屋へでも行って待ちましょうと云うと、社の宿屋ですから、やっぱり大和ホテルがいいでしょうと、沼田さんが親切に自分で余をホテルまで案内してくれた。
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酔って外へ出ると濃い空がますます濃く澄み渡って、見た事のない深い高さの裡に星の光を認めた。国沢君がわざわざホテルの玄関まで送られた。玄関を入ると、正面の時計がちょうど十二時を打った。
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表へ出るとアカシヤの葉が朗らかな夜の空気の中にしんと落ちついて、人道を行く靴の音が向うから響いて来る。暗い所から白服を着けた西洋人が馬車で現れた。ホテルへ帰って行くのだろう。馬の蹄は玄関の前で留まったらしい。是公の家の屋根から突出した細長い塔が、瑠璃色の大空の一部分を黒く染抜いて、大連の初秋が、内地では見る事のできない深い色の奥に、数えるほどの星を輝つかせていた。
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《大連》
満洲館 (満鉄総裁公邸) |
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《大連》
児玉町 |
ホテルの玄関で、是公が馬車をと云うと、ブローアムに致しますかと給仕が聞いた。いや開いた奴が好いと命じている。余は石段の上に立って、玄関から一直線に日本橋まで続いている、広い往来を眺めた。大連の日は日本の日よりもたしかに明るく眼の前を照らした。日は遠くに見える、けれども光は近くにある、とでも評したらよかろうと思うほど空気が透き徹って、路も樹も屋根も煉瓦も、それぞれ鮮やかに眸の中に浮き出した。
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舞踏会はそれですんだが、しばらくすると、今度はこれから倶楽部に連れて行ってやろうと、例のごとく連れて行ってやろうを出し始めた。だいぶ遅いようだとは思ったが、座にある国沢君も、行こうと云われるので、三人で涼しい夜の電灯の下に出た。広い通りを一二丁来ると日本橋である。名は日本橋だけれどもその実は純然たる洋式で、しかも欧洲の中心でなければ見られそうもないほどに、雅にも丈夫にもできている。三人は橋の手前にある一棟の煉瓦造りに這入った。
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《大連》
日本橋 |
《大連》
大連倶楽部 |
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やがて蹄の音がして、是公の馬車は二人の前に留まった。二人はこの麗かな空気の中をふわふわ揺られながら日本橋を渡った。橋向うは市街である。それを通り越すと満鉄の本社になる。馬車は市街の中へ這入らずに、すぐ右へ切れた。
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すると今度は馬車が満鉄の本社へ横づけになった。広い階子段を二階へ上がって、右へ折れて、突き当りをまた左へ行くと、取付が重役の部屋である。
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余は股野と相乗りで立派な馬車を走らして北公園に行った。と云うと大層だが、車の輪が五六度回転すると、もう公園で、公園に這入ったかと思うと、もう突き抜けてしまった。
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《大連》
北公園 |
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あれは何だいと車の上で聞くと、あれは電気公園と云って、内地にも無いものだ。電気仕掛でいろいろな娯楽をやって、大連の人に保養をさせるために、会社で拵えてるんだと云う説明である。電気公園には恐縮したが、内地にもないくらいのものなら、すこぶる珍らしいに違ないと思って、娯楽ってどんな事をやるんだと重ねて聞き返すと、娯楽とは字のごとく娯楽でさあと、何だか少々危しくなって来た。よくよく糺明して見ると、実は今月末とかに開場するんで、何をやるんだか、その日になって見なければ、総裁にも分らないのだそうである。
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《大連》
満鉄本社 |
《大連》
電気公園 |
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《大連》
路面電車 |
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《奉天》
満鉄公所 |
そのうち馬車が、電車の軌道レールを敷いている所へ出た。電車も電気公園と同じく、今月末に開業するんだとか云って、会社では今支那人の車掌運転手を雇って、訓練のために、ある局部だけの試運転をやらしている。御忘れものはありませんか、ちんちん動きますを支那の口で稽古している最中なのだから、軌道がここまで延長して来るのは、別段怪しい事もないが、気がついて見ると、鉄軌レールの据え方が少々違うようである。
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黒い柱が二本立っている。扉も黒く塗ってある。鋲は飯茶碗を伏せたように大きく見える。支那町の真中にこんな大名屋敷に似た門があろうとは思いがけなかった。門を這入るとまた門がある。これは支那流にできていた。それを通り越すと幅一間ほどの三和土が真直に正面まで通っている。もっとも左右共に家続きであるから、四角な箱の中をがらん胴にして、その屋根のない真中を、三和土を辿って突き当る訳になる。
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ところが帰りにはやっぱり予定通夜半着の汽車へ乗ったのでとうとう満鉄公所へは泊まれない事になった。満鉄公所で余の知らない所は寝室だけである。
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