逸夫[yi4 fu1]舞台・天蟾[tian1 chan2]京劇中心
天蟾舞台・労働劇場

■金子光晴:『どくろ杯』[B42]

 ……上海の滞在は、私たちにとっての小さな祭りだった。谷崎の紹介状が懇切をきわめていたので、いたるところでおもいがけない便宜をはかってもらえた。なんの見どころもない、そのうえ因縁の浅い私を、彼がなぜ、そんなに厚遇してくれたのか今も猶理由がわからない。郭沫若には上海にいなくて会えなかったが、他の人たちとは、皆、会うことができた。村田孜郎は着いた日、私たちを四馬路に案内し、天蟾てんせん舞台の京劇をみせてくれた。……(《最初の上海行》p60)

■芥川龍之介:『上海游記』(「芥川龍之介全集8」[B267])

 私の行った劇場の一つは、天蟾舞台と号するものだった。ここは白い漆喰塗りの、まだ真新らしい三階建である。そのまた二階だの三階だのが、ぐるりと真鍮の欄干をつけた、半円形になっているのは、勿論当世流行の西洋の真似に違いない。天井には大きな電燈が、煌煌と三つぶら下っている。客席には煉瓦の床の上に、ずっと籐椅子が並べてある。が、苟も支那たる以上、籐椅子といえども油断は出来ない。いつか私は村田君と、この籐椅子に坐っていたら、兼ね兼ね恐れていた南京虫に、手頸を二三箇所やられた事がある。しかしまず芝居の中は、大体不快を感じない程度に、綺麗だと云って差支ない。
 舞台の両側には大きな時計が一つずつちゃんと懸けてある。(もっとも一つは止まっていた。)その下には煙草の広告が、あくどい色彩を並べている。舞台の上の欄間には、漆喰の薔薇やアッカンサスの中に、天声人語と云う大文字がある。舞台は有楽座より広いかも知れない。ここにももう西洋式に、フット・ライトの装置がある。幕は─さあ、その幕だが、一場一場を区別するためには、全然幕を使用しない。が、背景を換えるためには、─と云うよりも背景それ自身としては、蘇州銀行と三砲台香烟すなわちスリイ・キャッスルズの下等な広告幕を引く事がある。幕はどこでもまん中から、両方へ引く事になっているらしい。その幕を引かない時には、背景が後を塞いでいる。背景はまず油絵風に、室内や室外の景色を描いた、新旧いろいろの幕である。それも種類は二三種しかないから、姜維が馬を走らせるのも、武松が人殺しを演ずるのも、背景には一向変化がない。その舞台の左の端に、胡弓、月琴、銅鑼などを持った、支那の御囃しが控えている。この連中の中には一人二人、鳥打帽をかぶった先生も見える。(《戯台》pp37-38)

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更新日:2001年4月4日(水)