大和ホテル
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■夏目漱石:『満韓ところどころ』(「夏目漱石全集7」[B266])
……この犬はその後大連に渡って大和ホテルに投宿した。そうとはちっとも知らずに、食堂に入って飯を食っていると、突然この顔に出食わして一驚を喫した。固より犬の食堂じゃないんだけれども、犬の方で間違えて這入って来たものと見える。もっとも彼の主人もその時食堂にいた。主人は多数の人間のいるところで、犬と高声に談判するのを非紳士的と考えたと見えて、いきなりかの妙な顔を胴ぐるみ脇の下に抱えて食堂の外に出て行った。その退却の模様はすこぶる優美であった。彼は重い犬をあたかも風呂敷包のごとく安々と小脇に抱えて、多くの人の並んでいる食卓の間を、足音も立てず大股に歩んで戸の外に身体を隠した。その時犬はわんとも云わなかった。ぐうとも云わなかった。あたかも弾力ある暖かい器械の、素直に自然の力に従うように、おとなしく抱かれて行った。顔はたびたび云う通りはなはだ妙だが、行状に至ってはすこぶる気高いものであった。余はその後ついにこの犬に逢う機会を得なかった。(《二》pp439-440)
そのうち広い部屋がようやく暗くなりかけた。じゃどこぞ宿屋へでも行って待ちましょうと云うと、社の宿屋ですから、やっぱり大和ホテルがいいでしょうと、沼田さんが親切に自分で余をホテルまで案内してくれた。(《五》p447)
湯を立ててもらって、久しぶりに塩気のない真水の中に長くなって寝ている最中に、湯殿の戸をこつこつ叩くものがある。風呂場で訪問を受けた試しはいまだかつてないんだから、湯槽の中で身を浮かしながら少々逡巡していると、叩く方ではどうあっても訪問の礼を尽くさねばやまぬという決心と見えて、なおのこと、こつこつやる。いくらこつこつやったって、まさか赤裸で飛び出して、室の錠を明ける訳にも行かないから、風呂の中から大きな声で、おい何だと用事を聞いて見た。すると摺硝子の向側で、ちょっと明けなさいと云う声がする。この声なら明けても差支えないと思って、身体全体から雫を垂らしながら、素裸でボールトを外すと、はたして是公が杖を突いて戸口に立っていた。来るなら電報でもちょっとかければ好いものをと云う。どこへ行っていたんだと聞くと、ベースボールを観て、それから舟を漕いでいたと云う挨拶である。飯を食ったら遊びに来なさいと案内をするから、よろしいと答えてまた戸を締めた。締めながら、おいこの宿は少し窮屈だね、浴衣でぶらぶらする事は禁制なんだろうと聞いたら、ここが厭なら遼東ホテルへでも行けと云って帰って行った。
例刻に食堂へ下りて飯を食ったら、知らない西洋人といっしょの卓へ坐らせられた。その男が御免なさい、どうも嚏が出てと、手帛ハンケチを鼻へ当てたが、嚏の音はちっともしなかったから、余はさあさあと、暗に嚏を奨励しておいた。この男は自分で英人だと名乗った。そうして御前は旅順を見たかと余に尋ねた。旅順を見ないなら教えるが、いつの汽車で行って、どことどこを見て、それからいつの汽車で帰るが好いと、自分のやった通りを委しく語って聞かせた。余はなるほどなるほどと聞いていた。次に御前は門司を見たかと聞いた。次にあすこの石炭はもう沢山は出まいと聞いた。沢山は出まいと答えた。実は沢山出るか出ないか知らなかったのである。
しばらくして、君は旅順に行った事があるかとまた同じ事を尋ね出した。少々変だが面倒だから、いやまだだと、こっちも前同様な返事をしておいた。すると旅順に行くには朝八時と十一時の汽車があって……とまた先刻と寸分違わないような案内者めいた事を云って聞かせた。先が先だから余も依然としてなるほどなるほどを繰り返した。最後に突然御前は日本人かと尋ねた。余はそうだと正直なところを答えたようなものの、今までは何国人と思われていたんだろうかと考えると、多少心細かった。
余は日本人なりの答を得るや否や、この男が、おれも四十年前横浜に行った事があるが、どうも日本人は叮嚀で親切で慇懃で実に模範的国民だなどとしきりに御世辞を振り廻し始めた。せっかくだとは思ったが、是公との約束もある事だから、好い加減なところで談話を切り上げて、この老人と別れた。
表へ出るとアカシヤの葉が朗らかな夜の空気の中にしんと落ちついて、人道を行く靴の音が向うから響いて来る。暗い所から白服を着けた西洋人が馬車で現れた。ホテルへ帰って行くのだろう。馬の蹄は玄関の前で留まったらしい。是公の家の屋根から突出した細長い塔が、瑠璃色の大空の一部分を黒く染抜いて、大連の初秋が、内地では見る事のできない深い色の奥に、数えるほどの星を輝つかせていた。(《六》pp447-449)
……酔って外へ出ると濃い空がますます濃く澄み渡って、見た事のない深い高さの裡に星の光を認めた。国沢君がわざわざホテルの玄関まで送られた。玄関を入ると、正面の時計がちょうど十二時を打った。国沢君はこの十二時を聞きながら、では御休みなさいと云って、戻られた。(《七》p452)
ホテルの玄関で、是公が馬車をと云うと、ブローアムに致しますかと給仕が聞いた。いや開いた奴が好いと命じている。余は石段の上に立って、玄関から一直線に日本橋まで続いている、広い往来を眺めた。大連の日は日本の日よりもたしかに明るく眼の前を照らした。日は遠くに見える、けれども光は近くにある、とでも評したらよかろうと思うほど空気が透き徹って、路も樹も屋根も煉瓦も、それぞれ鮮やかに眸の中に浮き出した。(《八》p452)
橋本が博士になったり、ならなかったりした話がある。大連の大和ホテルにいる時分、満鉄から封書が届いた。その表に橋本農学博士殿と叮嚀に書いてあったのを乙に眺めながら、これだから厭になっちまうと云って余の方を向いて苦笑したから、先生は学者ぶって、むやみに博士呼わりをされるのを苦にする意味なんだろうと鑑定して、取り合ってやらなかった。実際こんな事が苦になるくらいなら、始めから博士にならなければ好いと思ったからである。その時はそれですんだ。(《四十一》p535)