化物屋敷

■夏目漱石:『満韓ところどころ』(「夏目漱石全集7」[B266])

 今日は化物屋敷を見て来たと云うと、田中君が笑いながら、夏目さん、なぜ化物屋敷というんだか訳を知っていますかと聞いた。余は固より下級社員合宿所の標本として、化物屋敷の中を一覧したまでで、化物の因縁はまだ詮議していなかった。けれども化物屋敷はこれだと云われた時には、うんそうかと云って、少しも躊躇なく足を踏込んだ。なぜそんな恐ろしい名が、この建物に付纏っているのかと、立ちどまって疑って見る暇も何もなかった。いわゆる化物屋敷はそれほど陰気にでき上がっていた。でき上ったというと新規に拵えた意味を含んでいるから、この建築の形容としては、むしろ不適当であるかも知れない。化物屋敷はそのくらい古い色をしている。壁は煉瓦だろうが、外部は一面の灰色で、中には日の透りそうもない、薄暗い空気を湛えるごとくに思われた。
 余はこの屋敷の長い廊下を一階二階三階と幾返か往来した。歩けば固い音がする。階段はしごだんを上るときはなおさらこつこつ鳴った。階段は鉄でできていた。廊下の左右はことごとく部屋で、部屋という部屋は皆締め切ってあった。その戸の上に、室の所有者の標札がかかっている。烈しい光線に慣れた眼で、すぐその標札を読もうとすると、判然読めないくらい廊下は暗かった。余はちょっと立ちどまって室の中を見る訳には行かないのかなと股野に聞いて見た。股野はすぐ持っていた洋杖ステッキで右手の戸をとんと叩いた。しかしはいとも、這入れとも応えるものはなかった。股野はまた二番目の戸をとんとん叩いた。これも中はしんとしている。股野は毫も辟易した気色なく無遠慮にそこいら中こつこつ叩いて歩いたが、しまいまで人気のする室には打つからなかった。あたかも立ち退いた町の中を歩いているような感じがした。三階に来た時、細い廊下の曲り角で一人の女が鍋で御菜を煮ているのに出逢った。そこには台所があった。化物屋敷では五六軒寄って一つの台所を持っているのだそうだ。御神さん水は上にありますかと尋ねたら、いえ下から汲んで揚げますと答えた。余はこの暗い町内に、便所がどこにいくつあるか不審に思ったが、つい聞きもせず、女の前を行き過ぎて通ろうとすると、そっちは行きどまりでございますと注意された。道理で真闇であった。
 田中君の話によると、この建物は日露戦争の当時の病院だとか云う事である。戦争が烈しくなって、負傷者の数が増して来るに従って、収容した人間に充分の手当ができないばかりでなく、気の毒ながら見殺しにしなければならない兵士がたくさんにできて、それらの創口から出る怨みの声が大連中に響き渡るほど凄じかったので、その以後はこの一廓を化物屋敷と呼ぶようになった。しかし本当だか嘘だか実は僕も保証しないと、田中君自身が笑っていたから、余はなおさら保証しない。
 ただ満鉄の重役が始めて大連に渡ったとき、この化物屋敷に陣を構えた事だけは事実である。その時この建物は化物さえ住みかねるほどに荒れ果てて、残焼家屋として、骸骨のごとくに突っ立っていたそうである。陣取った連中は死物狂で、天候と欠乏と不便に対して戦後の戦争を開始した。汽車の中で炭を焚いて死に損なったり、貨車へ乗って、カンテラを点けて用を足そうとすると、そのカンテラが揺ぶれてすぐ消えてしまったり、サイホンを呑むと二三滴口へ這入るだけであとはすぐ氷の棒に変化したり、すべてが探険と同様であった。
「清野が毛織の襯衣シャツを半ダース重ねて着たのは彼時だよ」
「清野は驚いて、あれっきりやって来ない」
 余は田中君と是公がこんな話をするのを聞いて、つい化物屋敷の事を忘れてしまった。(《十六》pp472-474)