大連倶樂部
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■夏目漱石:『満韓ところどころ』(「夏目漱石全集7」[B266])
舞踏会はそれですんだが、しばらくすると、今度はこれから倶楽部クラブに連れて行ってやろうと、例のごとく連れて行ってやろうを出し始めた。だいぶ遅いようだとは思ったが、座にある国沢君も、行こうと云われるので、三人で涼しい夜の電灯の下に出た。広い通りを一二丁来ると日本橋である。名は日本橋だけれどもその実は純然たる洋式で、しかも欧洲の中心でなければ見られそうもないほどに、雅にも丈夫にもできている。三人は橋の手前にある一棟の煉瓦造りに這入った。誰かいるかなと、玉突場を覗いたが、ただ電灯が明るく点いているだけで玉の鳴る音はしなかった。読書室へ這入ったが、西洋の雑誌が、秩序よく列べてあるばかりで、ページを繰る手の影はどこにも見えなかった。将棋歌留多をやる所へ這入って腰をかけて見たが、三人の尻をおろしたほかは、椅子も洋卓テーブルもことごとく空いていた。今日は遅いので西洋人がいないからつまらないと是公が云う。是公の会話の下手な事は天品と云うくらいなものだから、不思 議に思って、御前は平生ここに出入して赤髯と交際するのかと聞いたら、まあ来た事はないなと澄ましている。それじゃ西洋人がいなくってつまらないどころか、いなくって仕合せなくらいなものだろうと聞いて見ると、それでもおれはこの倶楽部の会長だよ、出席しないでも好いと云う条件で会長になったんだと呑気な説明をした。
会員の名札はなるほど外国流の綴が多い。国沢君は大きな本を拡げて、余の姓名を書き込ました上、是公に君ここへと催促した。是公はよろしいと答えて、自分の名の前に proposed by と付けた。それへ国沢君が、同く seconded by と加えてくれたので、大連滞在中はいつでも、倶楽部に出入する資格ができた。
それから三人でバーへ行った。バーは支那人がやっている。英語だか支那語だか日本語だか分らない言葉で注文を通して、妙に赤い酒を飲みながら話をした。酔って外へ出ると濃い空がますます濃く澄み渡って、見た事のない深い高さの裡に星の光を認めた。国沢君がわざわざホテルの玄関まで送られた。玄関を入ると、正面の時計がちょうど十二時を打った。国沢君はこの十二時を聞きながら、では御休みなさいと云って、戻られた。(《七》pp450-452)
後で本人に聞いて見ると、是公はその夜舞踏の済んだ後で、多数の亜米利加士官と共に倶楽部のバーに繰り込んだのだそうだ。そこで、士官連が是公に向って、今夜の会は大成功であるとか、非常に盛であったとか、口々に賛辞を呈したものだから、是公はやむをえず、大声を振り絞って gentlemenゼントルメン! と叫んだ。すると今までがやがや云っていた連中が、総裁の演説でも始まる事と思って、一度に口を閉じて、満場は水を打ったように静かになった。是公は固よりゼントルメンの後を何とかつけなければならない。ところがゼントルメン以外の英語があいにく一言も出て来なかった。英語と云う英語は頭の底からことごとく酒で洗い去られてしまっているので、仕方なしに、急に日本語に鞍換をして、ゼントルメンの次へもってきて、すぐ大いに飲みましょうと怒鳴った。ゼントルメン大いに飲みましょうは、たいていの亜米利加人に通じる訳のものではないが、そこがバーのバーたるところで、ゼントルメン大いに飲みましょうとやるや否や、士官連がわあっと云って主人公を胴上にしたそうである。(《十二》pp463-464)