王家衛のロケ地えらび
Buenos Aires, Iguazu, Ushuaia
“春光乍洩”(『ブエノスアイレス』[注1])に出てくる場所を実際に訪れてみて、この映画における王家衛のロケ地えらびについて、全体的な感想を書いてみたい。
“春光乍洩”に出てくるアルゼンチン(Argentina)[注2]は、首都ブエノスアイレス(Buenos Aires)、世界三大瀑布のひとつ、イグアスの滝(Cataratas del Iguazu)[注3]、そして「世界の果て」の町、ウスアイア(Ushuaia)である。正直言ってブエノスアイレスくらいしか知らなかった私は、なんてドラマティックな、映画的にサマになるところを選んだものかと、少しばかり感心した。
しかし、実際に行ってみると、この三箇所は、アルゼンチンを訪れる観光客なら誰でも行きそうなところである。別の言い方をすれば、アルゼンチンを舞台にロードムーヴィーを撮ろうとすれば、誰でもこの三箇所を選びそうな、かなり安易な選択なのだ。
しかし、この映画に出てくる三人の登場人物は、いずれも旅行者あるいは一時滞在者であり、よく知られた場所へ行くのはむしろ当然である。また、せっかく世界的な滝や世界の果てという、映画的な素材がころがっているのに、わざわざ避けることもない。むしろ問題はどう撮るか、ということである。外国を舞台にした作品は、時として観光ツアー映画のようになってしまう。しかし、この映画では、有名観光地や、アルゼンチンだということがわかりやすい場所をかなり出しながらも、まったくそのようにはなっていない。
Iguazu
梁朝偉扮する黎耀輝が実際にIguazuに行くのは映画の終盤だが、イグアスの滝の名はその前から登場している。まず冒頭で、Iguazuに向かっていた黎耀輝と何寶榮は、道に迷って喧嘩別れする。そしてやり直すことになったとき、張國榮扮する何寶榮は、怪我が治ったら一緒に行こうと言う。ふたりでIguazuに行くことは、ふたりの関係がうまくいくことの比喩のようなものであり、イグアスの滝はふたりにとっての希望の象徴として映画の中に登場している。
だから、黎耀輝は、何寶榮と別れ、ひとりでやり直すことを決意した後も、イグアスの滝にこだわり続ける。彼は、ふたりで行こうと思った場所にひとりで行くことで、自分の決意が確かなものになると考えているようにみえる。逃げるのではなく、ひとりで生きることをポジディヴに選択するということ、その確認作業のようなものとして、彼にはひとりでイグアスの滝を見ることが必要だったのだ。
イグアスの滝は、日本で見られるような滝とはくらべものにならないほど巨大であり、ただただ圧倒的されるほかはない。王家衛は、滝を上空から撮ったショットを使って、このような滝の凄さを見せている。一方、東洋では滝は精神につながるものとして捉えられており、厳粛とか静謐とかいったイメージがつきまとう。黎耀輝が、激しく顔を濡らす滝の水を避けようともせずに立ちつくすシーンは、そういった東洋的なイメージを強く感じさせる。
王家衛は、いわば黎耀輝の心象風景ともいえるような、実際にはない滝のイメージをうまく描き出しているのではないかと思う。
Ushuaia
「世界の果て」という言葉から、どんな場所を想像するだろうか。荒涼とした大地、吹きすさぶ風……、これが私のイメージする「世界の果て」だった。
真夏のUshuaiaは、そんなイメージとはかけ離れたところである。雪に閉ざされる冬には印象は一変するだろうし、冬が長く厳しい分、短い夏を謳歌しているともいえるだろう。しかし、町は観光客でいっぱいで、「世界の果て」の悲壮感はどこにもない。それにもかかわらず、観光の目玉はやはり「世界の果て」という概念なのだ。
映画の中のUshuaiaは、小さな島にある灯台や山の風景だけである。これは、この町を世界の果てらしく見せるための、苦肉の策ではなかったかと思われる。
Buenos Aires
かつて「南米のパリ」とよばれたBuenos Airesは、オープンカフェが多く、住民のほとんどがヨーロッパ系移民ということもあり、まるでヨーロッパの都市のようだ。しかし、王家衛の描くBuenos Airesは、そういった印象とはかなり異なる。
この映画に最も多く出てくる場所、そしておそらく、王家衛が最も好んだ場所はBoca地区である。曇りがちの天気の、古い港町のくすんだ風景は、先の見えない主人公たちの心象風景でもあるように、独特の雰囲気を醸し出している。王家衛は、汚いところを撮るのがうまい人だ。王家衛も侯孝賢もロケ地選びがすごくうまく、ロケ地の魅力が映画の中で大きな比重を占めている。しかし、行ってみてなるほどと思うような、絵になるところをうまく見つけてくる侯孝賢に対して、映画に出てこなければ注目しないかもしれないヘンな汚いところに、独特の雰囲気を持たせて撮るのが王家衛である。この映画の中では、そういった彼の才能がいちばん発揮された場所がここBocaであると思う。
Boca以外では、オベリスコやタンゴバーといった、Buenos Airesを象徴するような場所をところどころに出している。また、土地勘のない私のような旅行者が、1週間程度で大部分のロケ地を見つけられたのだから、香港で撮るときに比べてかなりわかりやすい場所を選んでいるといえる。それでも、結果として、独自のBuenos Aires、この映画にしかないBuenos Airesを作ることにかなり成功していると思う。
- [1]『ブエノスアイレス』
- ひどい邦題である。
- [2]アルゼンチン以外の舞台/ロケ地
- 台灣の台北も舞台/ロケ地のひとつだが、台北のロケ地えらびについてはここではふれない。
- [3]イグアスの滝のロケ地
- イグアスの滝は、アルゼンチンとブラジルの国境にあり、映画が撮影されたのはおそらくブラジル側だと思われる。しかし、物語上はブラジル側である必然性はない。ブラジル入国にはヴィザが必要なため、わざわざブラジル側まで行ったのかどうかは疑わしい。ここでは、イグアスの滝全体を一応アルゼンチンとみなして、特に区別せず扱うことにする。
■
↑『ブエノスアイレス』
■
◆ as films go by -阿根廷篇- ◆ 阿根廷アルゼンチン・映画通り ◆ ホームページ ◆ Copyright © 1998-2003 by Oka Mamiko. All rights reserved. 作成日:1998年8月30日(日) 更新日:2003年9月14日(日) |